侍とは

日常生活では身近に居ない存在となってしまった「侍」。しかしゲームや漫画、大河ドラマなどで取り上げられ、現代に生きる私たちでもファンが多い存在である。
外国人の方に日本といえば?と聞けば「サムライ」と答える人も多いだろう 彼らはそもそもどのように生まれ、どのように変化していった生き物なのだろうか。

今回は歴史的な内容をメインに進めていきたいと思います!

目次

1.侍の起源とその変化

1-1.侍の発祥
1-2.侍の遍歴

2.侍の意味

2-1.侍の語源
2-2.武士と侍

3.侍の評価される要因

3-1.武士道
3-2.明治維新 まとめ

1.侍の起源とその変化

「侍」はどのようにして生まれたのでしょうか。 取り上げられる事の多い侍が幕末、明治維新の頃に活躍をした武士が多いが歴史は古く、その起源は平安時代にありました。

1-1.侍の発祥

平安時代に施行された「墾田永年私財法」という言葉に聞き覚えはないでしょうか。
この法律は自分で耕した土地は自分のモノにしていいよ。という法律なのだが、この法律がきっかけで「侍」といわれる人々が誕生する事になります。
この法律によって私有地が持てるようになりました。力のある貴族はどんどんと土地を広げようとし、まだ開発されていない土地を求め地方に行き、自分の土地を開発していきました。
この開発した土地が他人に奪われないよう、立場の弱い農民は自身の土地を守るため武装するようになりました。
そのうち、土地を守る自警団が出来上がり、その集団を「武士団」と呼ぶようになっていきます。武士団に所属する戦闘要員を「武士」と呼ぶようになり、後に「侍」と呼ばれる人達が生まれたのです。
この武士団の中でも特に規模が大きかったのが「平家」と「源氏」です。 侍の始まりは武装した農民だったのです。

1-2.侍の遍歴

元々は農民だった武士団は、朝廷には軽視されており身分も最下層に近いもので特に相手にはされていませんでした。
ところが1156年に保元の乱という争いが起こりました。保元の乱は朝廷内の権力争いで、天皇側と上皇(天皇の座を退いた者に与えらる位)側で争った戦いです。
この戦いで戦闘要員を持たない朝廷は有力な武士団に協力を仰ぎ、武士が戦いに参戦する事になります。
この時に活躍したのが源義朝や平清盛でした。当時はまだ味方同士であり天皇側に協力し戦っていました。
この戦いで武士の必要性が認められ、武士は力を持つようになり、政治にも関心を持つ転機となりました。

その後、この保元の乱の報酬の格差で平氏と源氏の仲に亀裂が走り、1159年に平治の乱が起こります。
この争いは平清盛の勝利で終わり、朝廷から正式に武士の地位が認められました。
平清盛はこれまでの功績が認められ、初めて武士として政治を務めるようになりました。
この時の平氏の力は壮大で「平氏にあらずんば、人にあらず」といわれるほどでした。
ちなみに、この時代の戦いの中で平将門が初めて反りを持った日本刀を作ったといわれています。

日本刀も侍と共に生まれていたのですね。 平清盛が政治を治めるようになってから、時代ごとに新しい統治者が生まれては消えていき、武士による政治が江戸時代の終わりまで続きました。

2.侍の意味

侍と呼ばれる人がどのように生まれたかはご説明しましたが、元来侍とは何を指している言葉なのでしょうか。また侍と武士に違いはあるのでしょうか。

2-1.侍の語源

今の私たちが認識している侍という言葉の意味が定着したのが16世紀の頃で、比較的新しい意味なのです。
今では刀を持って戦う人というイメージが強いですが、もともとの語源は「君主の側近で面倒を見ること、またその人」でした。
平安時代は戦う人のみをさしてつかう言葉ではなく、君主に仕えている人の事も侍と呼んでいました。
時代が経過するにつれて貴族や将軍などの家臣である、いわゆる上級武士のみを侍と呼んでいたそうです。

「侍」という漢字には、元来「貴族のそばで仕えて仕事をする」という意味がありますが、刀を持って戦い、芸事をしている人の意味を持っているのは日本のみなのです。

2-2.武士と侍

今では侍=武士という意味で、同じことを指している言葉として使われているが、侍達が生きていた時代はこの言葉に違いはあったのだろうか?

身分制度が明確に分かれていた江戸時代に限定して説明したいと思う。 江戸時代の身分制度は士農工商といわれ、武士は「士」の部分に含まれており、士分という身分を持っていました。
士分の中でも位が存在し、大きく分けると「侍」と「徒士(かち)」に分けられます。 侍は自分の領地を持っていて、戦の時は馬に乗る者で、将軍に直接拝謁することができる武士の事を指していました。

一方徒士は扶持米(お給料としてのお米)をもらい、戦いの時は徒歩で戦い、将軍には拝謁することが出来ない武士の事を指していました。
ちなみに必殺仕事人で有名な中村主水は同心という役職についていますが、士分のなかでも同心は「徒士」に分類されています。

今では武士=侍ですが、当時正式には武士の中で地位のある人の事を侍と呼んでいたようです。

3.侍の評価される要因

今では誰でも知っている「侍」はなぜ、日本国内外から人気を集めているのでしょうか? 人気になる要素を探っていきたいと思います。

3-1.武士道

武士が大切にしていた倫理観のようなものが武士道ですが、海外にまで広まったのは新渡戸稲造が海外に日本独特の文化や倫理観を伝えるために「武士道」という本を海外向けに出版したことから広まっていきました。
現在話題に上がる武士道はこの新渡戸稲造の書いた本の内容を指すことが多いです。
そもそも武士道は誰が作り、どのような拘束力があるものだったのでしょうか。

武士道は江戸時代に士農工商と呼ばれる身分制度に由来しているみたいです。
身分の高い武士には「文武両道の鍛錬と徹底責任を取るべき」という事が決められていました。
このような決まり事は、ほかの身分には無く、士分のみにあるものでした。
この決まり事を守ることによって、武士は武士であることを誇りとするようになりました。
武士道は法律のように規制があるものでは無く、「文武両道の鍛錬と徹底責任を取るべき」を果たすため、武士が武士でいる為の心構えで、誰が決めたわけでもなく武士自身が自分で守っていたルールなのです。

この日本独自の倫理観、自分を律して生きるカッコよさが侍人気の一因を担っているのではないでしょうか。

武士道の詳しい内容に関しましては、以前のコラムにございますので、興味を持たれた方はそちらをご覧になってみてください。

3-2.明治維新

ドラマ・漫画・ゲーム・小説などで題材にされる事が多い明治維新中での出来事。日本が大きく変化することになった革命ですが、ここまで人気があるのはなぜなのでしょうか。

まずは、世界で起こった革命に目を向けてみます。
今回は有名なフランス革命を軽く説明します。

フランス革命 1789年~1799年の間続いた革命。 ルソーなどの知識人が行っていた啓蒙活動に刺激された国民が貴族や平民などの階級の垣根を超えて人間の権利を求め始まった革命です。
この革命での登場人物は、マリーアントワネットやナポレオンなど誰もが知っている人物か出てきます。
全国民が立ち上がり、最終的にはブルジョアが権力を握り、ナポレオンの帝政になってしまうという結果になります。
この革命中にベートーヴェンはナポレオンを称え「英雄」という曲を作りましたが、結局はナポレオンが皇帝になったことを知ったベートーヴェンは、激怒しこの楽譜を叩き付けたという逸話もありますね。
フランス革命は全国民が立ち上がり、上流階級者が権力を握った革命ですね。

イギリス革命、アメリカ革命、キューバ革命など様々な革命が起こりましたが明治維新はどのような革命だったのでしょうか。

明治維新は江戸幕府に対する倒幕運動から明治政府が確立されるまでの革命の事をさします。
黒船来航をきっかけとした欧米列強の経済力や軍事力などを目の当たりにして、江戸幕府は朝廷の意見を無視し、開国しようとしたため、それに反発した攘夷派が朝廷に権力を戻そうとした攘夷運動がきっかけで起こった革命です。
この革命が他の革命と違う所は、地位の高い武士が国の為、国民の為に行った革命という所でしょうか。
士農工商を撤廃し、士分という身分を自ら捨て、四民平等を宣言したり、教育等の社会制度の革命も行いました。
その結果、明治維新後の反乱も少なく、物凄い勢いで欧米諸国に経済力や技術力で追いつきました。

日本独自の「武士道」があったからこそ成功した革命なのではないでしょうか。

まとめ.

侍は元々農民だったのは意外でしたね。
農民から生まれた侍はやがて政治を仕切るようになり、自分の手で侍という身分を終わらせました。
しかし侍は今では人気のある存在になっています。 自分の為ではなく他人の為に。高い地位にいるのならば、しっかりと責任を背負う 侍人気の理由はやはり「武士道」という生き様にあるかと思います。

侍は居なくなってしまいましたが、日本人の謙遜する姿勢やおもてなしの精神、礼儀作法などは「武士道」由来のものなのではないでしょうか。
案外身近なところに侍精神が潜んでいるのかもしれませんね。