江戸の暮らし

坂本龍馬や新選組、様々な英雄が生まれた江戸時代。260年近く続いた江戸時代はどのように人々は生活をしていたのでしょうか。鎖国の影響で海外からの文化の流入が少なかった為、日本独自の文化や伝統がたくさん生まれました。それらを支えたのは紛れもなく庶民達でした。
けっして裕福ではなかった彼らが何を大切にし、どのような生活を送っていたかを今回は取り上げていきたいと思います。
彼らの生活から、現在に生きる私たちが失いつつあるものが分かるかもしれません。

目次

1.江戸時代の暮らし

2.江戸時代の衣食住

2-1. 江戸時代のファッション
2-2. 江戸時代の食事
2-3. 江戸時代の住まい

1.江戸時代の暮らし

江戸時代の庶民は基本的に長屋に住んでいました。
朝は明け六つ(現在の6時辺り)に鳴る鐘の音と共に始まりました。基本的には日の出と共に一日が始まり、日没と共に寝るという暮らしをしていました。
当たり前ですが、現在のように電気は無く、夜の照明に使う油やロウソクが大変高価なものだった為、夜でも活動していたのは吉原遊郭などごく一部のみでした。
ちなみにお化けがよく出るといわれる「丑三つ時」は午前二時~二時半頃のことを指していたようです。三つ時が一時を四等分した時の三番目の時間という意味を持つのです。

江戸時代の時間は、太陽の動きを基準とした不定時法が採用されていました。そのため、人々は自然のサイクルに従って生活をしていました。そのため夏は昼の時間が長く、冬は夜の時間が長かったのです。

女房は明け六つより、少し早めに動き出し、簡素な朝食の支度を始めます。朝に一日分ご飯を炊き、それを木製の飯櫃に入れ、昼も夜もそのご飯を食べていました。
なので、朝食のみ温かいご飯を食べていたそうです。
ちなみに、豆腐屋が朝食に間に合うよう、一番早く活動を始め、その後納豆売り、惣菜売り、野菜売り、魚売りなどが棒手振(時代劇などでよく見る、天秤のように桶を担いで販売しているもの)が長屋の路地に次々とやってきていたようです。

現在に生きる私たちは、朝食を蔑ろにしがちですが、朝にしか温かいご飯を食べないとなると、朝食が今よりも大切なものだったのではないでしょうか。
お日様と共に生活をし、時間に合わせていろいろなものを販売しにくる生活は、必要なものを好きな時に買いに行く今よりも、人付き合いや待つ楽しみが日常にあふれていたのかもしれませんね。

2 江戸時代の衣食住

江戸に暮らす人々はどのような生活の基盤ですごしていたのでしょうか。まずは生活の基盤となる衣食住に注目していきたいとおもいます。

2-1.江戸時代のファッション

今でもたまに耳にする「粋」や「いなせ」という言葉、これは江戸っ子たちが当時追求していたおしゃれのスタイルだったようです。
「いなせ」とは漢字で書くと「鯔背」と書きます。これは江戸日本橋の魚河岸の若者たちが結っていた、魚の「いなだ」の背中に似せていた髷(まげ)の形に由来するそうです。

いなせな着こなしとは、細身に見せることが基本だったようです。寒いから厚着をするのは野暮というのが江戸っ子の美学だったようです。
当時のファッションリーダーは、歌舞伎役者達でした。男性も女性も自分の好きな歌舞伎役者が身に着けていた衣装を真似たものを着ていたそうです。
色でいうと茶色は江戸時代全時期を通して流行していた色で様々な茶色が存在したそうです。色といっても一つの色で様々な種類の色があり、多様な色がありました。江戸っ子の色彩感覚はとても繊細だったようです。
今と違い江戸っ子は流行のファッションの中でも他人と被らないようにした人が多く、美意識がものすごく高かったようです。

女性のみに焦点を当ててみると、女性のファッションリーダーは遊女だったようです。
皆さんが想像する江戸時代の女性は髪を束ねて結っている姿を想像し、違いがあまりないように感じる方が多いかとおもいます。
しかし、その種類は数百種類にも及びます。元々は、「垂髪」といって長い髪を後ろに垂らすスタイルが一般的でした。
髪を結いあげる習慣は上流階級の女性が結っていた「元結い」と呼ばれる髷(まげ)が元祖といわれています。
それが一般的になったのは遊女たちが客を呼ぶために、オリジナルのヘアスタイルを編み出していった事が庶民の目には斬新に見え、一般的に結ったスタイルが普通になったようです。

やはりどの時代にもファッションリーダーは存在していたようです。今は流行と同じものを求める人が多いですが、当時の人達は流行に似せ、オリジナリティを求めていたようです。
現存している版画や書物などを見てみるとみんな似たような恰好をしていますが、誰一人として同じ格好をしている人がいないのが分かります。
流行の中にも自我がある、そんな粋でいなせなファッションを目指していたのでしょうか。

2-2.江戸時代の食事

現在私たちは基本的には一日三食を食べているが、この習慣ができたのも江戸時代からだったようです。
この習慣が定着したのが1688年~1704年の間といわれていて、それ以前は朝と夜の1日2食が普通でした。この時期から主食が玄米や麦飯から白米になっていき、ご飯とおかず数種類を食べるスタイルが定着していきました。
江戸初期までは味付けの中心は塩や酢、味噌でしたが、このあたりから醤油や砂糖、みりん、鰹節などが普及し、様々な煮物料理が作られるようになりました。

では実際の庶民はどのような食事をしていたのでしょうか。
朝は炊き立てのご飯に味噌汁、漬物が基本的なメニューで、少し裕福な家庭では煮豆などの副菜がついていたようです。
お昼は冷や飯と、朝の残りの味噌汁程度でした。仕事で外に出ている職人などはご飯と煮物などが入ったお弁当を持って行ったそうです。習い事をしていた子どもはお昼時にはご飯を食べに一度家に帰ってきていたようです。
江戸時代の後期になると寿司、そば、てんぷら、おでんなどの屋台の数が増え、外食で昼食を済ます人が多くなったそうです。
夕飯は冷や飯、味噌汁に1,2品のおかずというのが基本的でした。おかずはひじき、わかめ、イモ、ゴボウなど海藻や野菜の煮物が中心で、裕福な家庭でも魚を食べるのは月に1,2回ほどでした。
ちなみに農民は年貢としてお米を納めていた為、政府からアワやヒエなどの雑穀を主食とするように命じられていた為、お米を食べることは中々できなかったそうです。

今の私たちの食文化の基礎は意外と新しく、江戸時代に形成されたものだったとは驚きましたね。
外食の文化が生まれたのもこの時代で、お寿司は当時高級なものではなく、庶民が屋台で食べるものだったようです。大きさも今のもののように小さいものでは無く、一つ一つが大きいもので、値段もそばの半額程度だったとされています。
数百年で文化が変わってしまっていますが、当時の屋台がどのようなものだったのか、実際に見てみたいものですね。
農民が白米が食べられなかったという話から、身分制度である士農工商があった事と、お米が通貨のような扱いを受けていたことがうかがえますね。
食文化からもその時代の様子が見えるのはとても面白いですね。

2-3.江戸時代の住まい

江戸時代の庶民は平屋のアパート「長屋」に住んでいました。けっして広くはなく、快適とは言えない住まいで、どのような生活をしていたのでしょうか。

長屋は細長い建物の内部を粗壁で区切り、いくつかの部屋に分けたものです。標準的な広さは大体畳6畳程度でした。この中で多くて一家3人程度で暮らしていたのです。
狭いスペースで暮らす為、様々な工夫を凝らして暮らしていたようです。
例えば、玄関のすぐ横にはキッチンスペースを兼ね備えた土間が1畳半程度あり、ここに食事関連のモノはまとめられていたようです。4畳半程度の住居スペースには神棚やタンスなどがありました。いまでこそ布団は押し入れにしまうものですが、長屋には押し入れがなかった為、隅っこにたたんでおく人や、たたんだ布団を天井から吊るす人もいたそうです。
様々な工夫を凝らし、狭い空間を有効に使おうとしていたようです。

この長屋には多くの家庭が住んでいた。粗壁一枚で区切られただけの空間でどのようなご近所付き合いがあったのでしょうか。そもそもプライバシーはあったのでしょうか。

長屋にもいろいろなランクがありました。「表店(おもてだな)」と「裏店(うらだな)」と呼ばれ、表店は表通りに面して作られた長屋で高給取りの人たちが住んでおり、裏店は表店の路地を入った所にならんでいました。
裏店には庶民の多くの人が住んでおり、家賃は日払いで収めていたようです。
裏店には共用のトイレと井戸があり、長屋の女性たちは炊事や洗濯の度に、にぎやかな井戸端会議をしていたようです。
粗壁で区切っているだけの空間で、その壁にも穴が開いている事もあり、会話も筒抜けでプライバシーはありませんでした。
その結果、物の貸し借りや食事の付き合いなどのご近所付き合いが盛んになり、ゴミ出しや掃除などのルールもきっちりと守られていたみたいです。

狭いながらもにぎやかで、人付き合いのある長屋住まいは、今の私たちからしてみたら不便で仕方ないように思えますが、当時の人たちは快適で楽しい生活を送っていたのかもしれませんね。

まとめ

江戸時代の庶民の暮らしの基盤となる部分を見てきました。
現在の私たちから見れば不便で過ごしにくい生活をしていたように見えますが、少々あこがれる生活をしているなと感じました。
粋でいなせなファッションの中で個性を出すおしゃれの感覚、日と共に起き、日と共に寝る生活、質素ながらも1日3食をちゃんととり、たまに屋台でそばやお寿司を食べる生活、プライバシーは無いが、助け合いながら生活していく人情味あふれる生活。
どれも現在では中々ないものが、たくさん存在していた時代のようです。
こうしたどこか憧れてしまう生活も侍・江戸ブームの一端を担っているのではないでしょうか。

次回は庶民の娯楽に注目していきたいと思います!