戦国時代の戦の流れ

日本の歴史を見ていくと江戸時代に入るまで、絶えず戦が繰り返されています。

その中でも特に戦が激しかったのは「戦国時代」と呼ばれる期間です。戦国時代とは元々は中国が周と呼ばれる時代から秦と呼ばれる時代まで天下統一されるまでの間を戦国時代と称しているのにならって日本に当てはめたので、明確な時代区分もばらつきがあります。

戦国時代と呼ばれている期間の最長のもので室町時代1467年の応仁の乱から1615年の大坂の陣で徳川家康が豊臣氏を滅ぼすまでの間となります。

戦国時代に様々な戦があったことはご存知でしょうが、どのようにして戦が始まり、どのようにして終わったかはご存知でしょうか。今回は戦の準備を中心に見ていきたいと思います。

目次

1.戦の準備
1-1.戦の始まり軍評定
1-2.陣触を出す
1-3.戦の準備
1-4.戦の移動
1-5.陣を張る

2.合戦で構成された部隊
2-1.合戦時の軍の構成
2-1-1.本陣の構成
2-1-2.部隊の構成

まとめ

1.戦の準備

合戦などが始まるきっかけは、他国に攻め入ったり他国から攻められたりすることから発生していました。

応仁の乱から時代が不安定になり、その一端として「下剋上」という文化が影響し戦乱の世に突入しました。

「下剋上」とは、実力さえあれば身分の下のものが上の者を倒し権力を握る事を指します。
つまり実力があれば成り上がる事が出来たのです。
領地や資金を増やさなければ、自分の立場が無くなってしまう為様々な武将が天下統一を目指しました。

前置きはこの程度にして、さっそく戦の始まるまでの準備の仕方を見ていきたいと思います。

1-1.戦の始まり軍評定

戦の多かった時代でもやみくもに何かあれば戦をしていた訳ではありませんでした。

戦の前には「軍評定(いくさひょうじょう)」といわれる会議が行われていました。そこでは戦国大名と重臣との間で行われ、「そもそも戦うべきなのか」「戦う場合はどのようにすれば勝てるのか」「物資、兵力はどの程度必要なのか」等を会議されていました。

またしっかりと「合戦を回避する方法はないのか」「和議を結ぶための条件」といったことも合議の上可決されていました。織田信長の死後領土の分配を決めるため行われた軍評定が「清州会議」で、数年前映画化もされましたね。

この軍評定の結果を得て戦の準備はじまります。

1-2.陣触を出す

戦をする事が決まると、配下の武将たちに出陣を伝え合戦の準備が行われました。この事を「陣触(じんぶれ)」と呼んでいました。

各武将から領地内へ伝えられ、太鼓や鐘を合図としたり、遠く離れた山村や漁村は狼煙を上げたりして各地へ伝えられました。

この初動の連絡がスムーズに行くように連絡の手段は整備されていました。鐘や太鼓などの音による陣触には回数によって合図がありました。1回目は農作業を止め、城に集まる。2回目は具足の身支度を整える。3回目で装備を揃え、城内に集合。等の合図が決められていました。

1-3.戦の準備

陣触が出される際に何を準備するか等の指示された書状「着到状(ちゃくとうじょう)」渡されました。

戦国時代、兵農分離が行われるまでは農民も戦に参加していました。戦が始まると農作業を止め、戦の準備を行いました。

1569年に上杉謙信が出した「地下槍触乃覚(じげやりぶれのおぼえ)」を見てみると、農民に対し鍬、鉈、縄、槍等の持参を命じており、書いてあるものを持って来た者には褒美を渡していたそうです。

武具以外だと「腰兵糧(こしひょうりょう)」を持参していました。腰兵糧とは食料の事で基本的に3日分準備したそうです。

食料は戦が始まったら毎日支給されたのではなく、三日分の食料を食べきった四日目から支給されるのが一般的でした。

それ以外では陣笠や火打道具、寝袋等様々な物を準備する必要がありました。

1-4.戦の移動

準備が終わると戦場になる箇所へ出発をします。

この移動も大勢での移動になりますので、かなり大変でした。少しでも楽に移動できるよう、陣触の際に道の整備なども命令していました。

移動はいつ敵と遭遇してもいいように前軍・中軍・後軍の3部隊に分かれて移動していました。

前軍は敵に遭遇する可能性が高かった為、戦闘力の高い部隊が配属され、中軍には総大将がいる中軍が続き、この中軍が本隊で人数が一番多く大名直属の武将で固められていました。

後軍は後方からの敵襲の警戒と戦闘になった際の後詰が主な仕事でした。

この3隊の後に荷駄隊と呼ばれる、合戦用具や食料などを運ぶ部隊が続いていました。この荷駄隊は農民が主に務めていたそうです。

1-5.陣を張る

移動を終えた部隊は戦場に拠点となる場所を選定し、陣を張りました。

陣を張る場所は攻撃・防御に適した所を慎重に選定していました。ほとんどの場合は小高く全方向見下ろすことのできる場所に布陣をしていました。

その際に攻撃に出撃する時に見つからないようにする為に堀を作ったり、敵の攻撃を妨害する杭や柵なども設営しました。

また長期の戦が見込まれる場合は、少しずつ陣を強固な物にして、戦に望んだそうです。

2.合戦で構成された部隊

ここまで戦の準備に関しての事を紹介して行きました。実際の戦の使用された武器等は前回のコラムで紹介して行きましたが、どのような部隊が存在したかは説明していませんでしたので、ここで一度紹介して行きたいと思います。

2-1.合戦時の軍の構成

戦国時代の初期の方は合戦の規模が小さく、隣国同士の小競り合いが多かったのですが、中期以降は戦の規模が大きくなっていき何万、何十万の兵が参加していたので複数の部隊に分かれそれぞれの長が置かれるようになりました。

本陣と部隊に分かれて合戦は動き続いていましたので簡単に本陣・部隊の構成を説明していきたいと思います。

2-1-1.本陣の構成

本陣では実働で戦う事が目的ではなく、合戦の流れを見極め実働部隊に対し指示を出したり、食料などの物資の分配などを決めたりなど、合戦の頭脳として動いていました。

当然、戦国大名が出馬した時は「総大将」としてトップに就きました。

総大将の下には「軍奉行」と呼ばれる、総大将に対して作戦を助言する役職、「馬廻衆」と呼ばれる総大将のボディーガードのような部隊、「軍目付」と呼ばれる各部隊の監視役などがありました。

軍奉行から槍奉行、弓奉行、旗奉行などに作戦を伝え、使番と呼ばれる伝令係が実働部隊のトップである「侍大将」に伝え戦場が動いていました。

2-1-2.部隊の構成

実働部隊は簡素な構成でした。

まずはトップに司令塔である「侍大将」が居り、自分の部隊の各大将に作戦や動きを指示していました。

侍大将の下には、「足軽大将」「弓大将」「騎馬大将」「鉄砲大将」「槍大将」が配属されており、各担当の武士をまとめていました。

本陣から各部隊へ伝令を伝える「使番」はこの伝令だけではなく、敵方を訪れて総大将の書状を届けたり、味方部隊同士の連絡をしたりなどもしていました。

また味方同士での伝令の際は敵方に捕まった際に状況が伝わらないよう、すべて口頭で伝令をしていたそうです。

まとめ

今回は合戦が始まるまでと、合戦中どのような部隊を構成して戦っていたのかを見ていきました。

合戦の準備にはこれ以外にも出陣の前に験担ぎの儀式を行っていたり、戦を行う日取りも縁起の悪い日を避けたりなど、様々な事に気を使っていたそうです。

今回のコラムで少し紹介しましたが、兵農分離が行われるまでは農民も足軽として合戦に参加していました。

その為、合戦が農作業の繁忙期には避けられたり、集団戦の訓練ができなかったりと様々な問題があったそうです。

戦国時代の合戦と言われると、血生臭く血気盛んなイメージが強いですが、軍評定が行われたりと、ただ自分の欲望の為に合戦が行われた訳では無かったようです。

合戦と言われると映画や時代劇でも合戦中の様子がピックアップされ、合戦の準備などのイメージがあまり無い方が多かったかと思います。

今回のコラムでは簡単にでしたが、合戦が始まるまでの準備をピックアップしました。次回は合戦中についての詳細を紹介して行きたいと思います。