合戦で使用された武器

日本は鎌倉時代から江戸時代に至るまで、合戦が絶えず起こっておりました。

その中で使用された武器と言われて想像するのはやはり「刀」だと思います。

しかし、実際の戦では刀以外の武器ももちろん使用されていました。

今回は日本で使われた武器について詳しく見ていきたいと思います。

目次

1.弓の種類と歴史
1-1.弓の歴史
1-2.弓と三十三間堂
1-3.合戦での弓の活躍

2.鉾と槍の歴史
2-1.槍と鉾の違い
2-2.戦での槍の使用用途
2-3. 薙刀の歴史と使用用途

3.銃砲

まとめ

1.弓の種類と歴史

まずは戦の主要武器であった弓について見ていきたいと思います。

この「弓」ですが、歴史はとても古く縄文時代から使用されていた武器になります。

合戦が無くなった江戸時代以降も武士のたしなみとして「弓射」は滅びずに現在にも残っております。

弓はどのような武器なのかを見ていきましょう。

1-1.弓の歴史

先ほどもお伝えした通り、弓は縄文時代から使われていました。遺跡から発掘されたものから1.2メートルから1.6メートルの大きさの弓を使用していたそうです。

その後、弥生時代に入ると「丸木弓」と言われる弓が登場します。遠くに飛ばせるよう2メートル前後の長弓が使用されていたそうです。

その後平安時代に入ると「丸木弓」から発展し、竹と木を組み合わせて作った「伏竹弓」が登場し、強度や飛距離が伸びたそうです。しかし平安時代ではまだまだ主流は「丸木弓」だったようです。

木と竹を組み合わせて弓を作ると、扱いやすさ・強度・飛距離が良くなるため、改良を重ね「三枚打弓」「四方竹弓」と材料の竹の割合を増やし改良を重ねました。

1-2.弓と三十三間堂

「四方竹弓」とは弓の芯を木にして上下左右を竹で貼り、四方を竹で囲んだ形にした弓の事です。この四方竹弓が完成されたのは室町時代頃でした。そこから更に改良され「弓胎弓(ひごゆみ)」が作られました。

この弓胎弓の発達に影響を与えたのは、京都にある「三十三間堂」でした。

三十三間堂の柱の間を一間と呼びます。この一間は一般的な一間(2メートル)では無く、2間(4メートル)あります。三十三間堂は全長三十三間あるので132メールあり、この長さを軒下の南から北に矢を射通す競技がありました。

これだけの長さを射通すには、性能の高い弓が必要とされ、開発されたのが弓胎弓でその後流行し、戦でも使用されていました。

弓は行事ごとの競技の為に発展していき、戦でも最後まで重要視される武器だったのですね。

1-3.合戦での弓の活躍

古くから使われていた弓ですが、鉄砲などが伝わった後も十分に活躍していた武器でした。

刀が主要武器になるためには歩兵を組織化し訓練された陣形と訓練が必要で、刀が活躍するのは15世紀に入ってからでした。

それまでは、弓が主要武器で刀は防衛のための武器でした。1333年あたりから戦が激しくなると、馬が厄介な為、山岳地帯等を占領するようになり、敵の馬の足を切る為に太刀が使用されましたが、どんな剣豪でも取り囲まれ弓で射られてしまえばひとたまりもなかったそうです。

戦国時代での弓の使われ方は数百数千の兵士が一斉に弓を放つ戦法が主流となり、鉄砲が使われるようになった後も戦国時代では欠かせない武器の1つであったそうです。

武士と言えば刀のイメージがありますが、刀が活躍するのはもっと後の時代からで戦の主役は弓だったようです。

2.鉾と槍の歴史

皆さんは「槍」という武器はご存知だと思います。しかし「鉾(ほこ)」という武器はご存知でしょうか。

「鉾」と漢字で書くとなじみが無いように思いますが、「矛(ほこ)」と書いたらどうでしょうか。おそらく「矛盾」という言葉が連想されると思います。

「矛盾」という言葉の語源はある商人がどんな盾でも貫ける矛とどんなものでも防げる盾を打っていた所、その最強の矛で最強の盾を突いたらどうなるのかと言われ、返答出来なかったという出来事から、話の辻褄が合わない事を「矛盾」と言います。

この話から「鉾」は武器であることはわかりますね。さっそく「鉾」と「槍」の歴史を見ていきましょう。

2-1.槍と鉾の違い

まずは「鉾」の説明からしていきます。

「鉾」は「矛」とも書き、見た目は槍のような刺突武器で後の「薙刀」や「槍」に発展していく武器になります。

槍と鉾の違いですが、「鉾」は刺突と斬る事を目的とした刃を持ち「槍」は刺突を目的としている為、刃の先が鋭くなっています。

更に、構造にも違いがあります。

鉾は柄と刃の接合部分がはめ込み式のソケットのようになっていますが、「槍」は刀と同じ構造をしており、茎(なかご)と言われる部分を差し込み目釘で固定しています。

ちなみにこの画像は鉾になります。

2-2.戦での槍の使用用途

戦での主要武器は先程説明した通り「弓」でした。

槍は鎌倉時代頃から登場はしていましたが、実際に14世紀での死傷者数は15例しか記録に残っておらず、貧乏な兵が使用していた武器という認識だったようです。

戦国時代15世紀頃に入ると戦の状況が変わりました。この頃から白兵戦で多人数が戦に参加する事になります。その為に弓や刀を扱う訓練をする時間が無く「叩く」「突く」「払う」と扱いやすい槍を持った足軽が大量に発生しました。

そうすると少人数では大したことが出来なかった「槍」ですが、大人数で扱うようになってからは戦での主要武器の一員となりました。

記録でも14世紀の槍傷の報告例は遠距離以外でのケガ内で2パーセントだったのに対し、15世紀~16世紀初頭にかけては80パーセントとなっていました。

どのように使われていたかというと槍先を前面に向け横一列に隙間を作らないように並び、敵の馬が侵入出来ないようにする「槍ぶすま」という使用方法を織田信長が考案してからはこの「槍ぶすま」が主な使われ方だったそうです。

2-3.薙刀の歴史と使用用途

槍と言われると同じ長物として出てくることの多い薙刀ですが、薙刀も「鉾」から発展した武器でした。

薙刀は槍や鉾とは違い、文字通り「薙ぎ斬る」ことが目的の武器でした。「後三年合戦絵詞」という絵から薙刀で首を突いている描写がある事からまれに突いて使用する事もあったそうです。

柄の短い鉾「手鉾」という武器があり、そこから発展したのではないかと言われています。

戦で薙刀が活躍したのは平安時代頃でした。接近戦で有利で、刀の間合いの外から攻撃出来、遠心力が働く為、かなりの威力のある武器だったそうです。

しかし、槍の登場から戦で活躍することは無くなり、武家婦人の心得の道具として用意される物になってしまいました。

3.銃砲

日本古来の武器ではありませんが、戦で主要武器となっていた「鉄砲」を紹介したいと思います。

1543年に種子島にポルトガル人を乗せた船が種子島に漂着した時に日本に伝来したと言われる「鉄砲」ですが、この伝来した7年後には洛中の戦いで使用されていました。

織田信長がその25年後の長篠の戦いで鉄砲隊を使用し、武田軍を破ったのは有名ですね。

この鉄砲が伝来してから普及したのは事実なのですが、じつは日本にはそれよりも前に鉄砲が輸入されていた記述があります。

武田軍の「甲陽軍艦」によると1525年に鉄砲を入手しており、「北条五代記」によると北条早雲は1510年に中国の僧侶から鉄砲を入手していた記録があります。

なぜ、20年以上前に手に入れていた銃が戦で猛威を振るわなかったを推測すると、種子島に伝来した銃よりも原始的なもので、正確に飛ばず、飛距離も弓より短かったのではないかと言われています。

それに加えて正確にメンテナンスが出来る人がいなかったことや弾のサイズなどが分からなかった等諸説あります。

鉄砲が伝来してから、主力の武器にはなりましたが、連射力のある弓も負けず劣らずと主力武器となっていたそうです。

まとめ

今回は「刀」以外の武器に注目してみました。

調べてみると戦では「弓」や「槍」が重要視されており、致命傷や傷を負わせた相手に止めを刺す為に刀を使用していたそうです。

また発掘された遺体と記録を見てみると、刀では切っ先で浅い傷を負わすことのできる距離で戦っていたそうです。その為記録では13回斬られたが、生存した武士の報告などがあります。

また遺体の骨を見ると何度も打撃を与えた損傷が見られる事から、当時は敵を気絶させるために刀を使っていたとも考えられるみたいです。

確かに刀はどの時代の武士も所持していた伝統のある武器ではありましたが、戦を大きく動かした武器は刀以外の色々な武器の存在もあった事を知ってもらえたらと思い今回のコラムを制作いたしました。

刀以外の武器を使った殺陣も刀とは違ったカッコよさがあるので一度サムライブで体験してみてはいかがでしょうか。