日本刀の発展と歴史

日本刀は数年前から専門書がたくさん出版されるようになり、ソーシャルゲームがきっかけになり幅広い年代に興味を持たれるようになりました。
その結果、居合や殺陣など日本刀(模造刀)を使用する趣味を持つようになった人が増えてきました。もちろん外国人からも人気があり、国内外問わず愛されています。
そんな日本刀ですが、いつ頃から存在し使用されていたのか、日本刀は反りのある刃物ですが、最初からその形だったのか等の歴史と発展を今回のコラムでは見ていきたいと思います。

目次

1.日本刀の歴史
1-1.日本刀の起源
1-2.日本刀の誕生
1-3.日本刀の発展 大太刀の登場
1-3-1.大太刀の登場と使用方法
1-4.脇差と打刀の登場
1-4-1.太刀から打刀へ

2.現在の日本刀

まとめ

1.日本刀の歴史

日本刀と言えば「反り」のある刃物ですが、この反りのある刃物は珍しく、国外の刀を見てみると反りの無い直刀のものが多いです。日本の刃物には最初から反りはあったのでしょうか。太刀は現在の私達が日本刀と呼ぶものは同じものなのでしょうか

今では様々な方面から人気のある日本刀ですが、いつ頃から今の私達が日本刀と呼ぶ刀が生まれてきたのでしょうか。意外とその由来を知っている人は少ないかと思います。
最初の項目では日本刀の発祥から現在に至るまでを見ていきたいと思います。

1-1.日本刀の起源

日本に刀と呼ばれる武器が使用されていたのは、紀元前に遡ります。中国大陸から伝来したと言われております。
日本は独自で青銅製の刀剣が生産されており、古墳時代(三世紀~7世紀頃)以前にはすでに鉄製の刀剣類の生産が始まっていました。
「古事記」からも刀に関しての記述があり、皆さんご存知の「聖徳太子」の肖像画にも刀を持っている姿が書かれています。
しかし、当時の刀は現在の日本刀とは形が違い反りの無い直刀でした。
1500年以上前の刀は現在見ることが出来ないと思われるでしょうが、現存するものがあります。
島根県のかわらけ谷から出土した「金銅装環頭大刀(こんどうそうかんとうたち)」は当時の状態を保ったまま島根県立古代出雲博物館に展示されているそうです。

1-2.日本刀の誕生

日本刀の特徴である「反り」が生まれたのは平安時代の中期以降からでした。
一般的には平将門と藤原純友の乱以降から反りのある刀が使用され始めたと言われています。
では何故日本でのみ、反りのある刀が発展したしていったのでしょうか。
その原因を見ていくと日本の合戦のやり方にありました。日本での合戦は馬の上に乗り刀を使用して戦っていた事から、この反りが生まれたとされています。
馬の上から相手を斬る際に、直刀の場合は相手を斬った際に衝撃が強く斬りずらかった為、反りをつける事によって力で押し斬るのでは無く、引いて斬るようにし、馬の上からでも扱いやすい武器に変化していきました。

平安時代以前の刀は反りが無いだけではなく、現在の日本刀にある「鎬(しのぎ)」と呼ばれる膨らみが無かったのですが、反りが生まれる同時期に鎬のある刀が生まれました。
鎬がある方が、従来の平たい刀よりも頑丈で斬ることに優れていると言われています。
このように、現在の刀の形に近づいたのは平安時代中期以降からでした。

1-3.日本刀の発展 大太刀の登場

日本刀の制作が盛んになったのは鎌倉時代に入ってからでした。
鎌倉時代に入ると合戦が多くなり、日本刀の需要が増したことが原因でした。この頃から日本刀の装飾にもこだわるようになり、美しい装飾をつけた日本刀が多く生産されました。
この頃の日本刀は「太刀」と呼ばれるもので、鎧に太刀の刃を下にして吊り下げて装備していました。15世紀以降は「太刀」よりも扱いやすい「打刀(うちがたな)」が使用されるようになります。

1-3-1.大太刀の登場と使用方法

太刀の制作が進んでいくにつれて、刀身の長い物や短い物様々な種類の太刀が生まれていきました。その中でも目を引くのが「大太刀」と言われる大きな刀です。
この大太刀が登場するのは14世紀頃からで、刀身の長さが2メートルを超えるものもありました。これほど長い大太刀は鎧に吊り下げるのでは無く、背中に背負っていたそうです。

この大太刀は相手を突き刺したり、打撃を与えることに優れており、それ以外にも、馬の足を折ったり敵の頭を打ちすえたりもしていたそうです。
実戦で使用するだけではなく、巨大な大太刀は持っているだけで相手を威嚇することが出来たので、相手を威圧する道具としても役に立っていたそうです。

1-4.脇差と打刀の登場

室町時代に入ると「脇差(わきざし)」と言われる太刀よりも短い刀が制作されるようになります。これは室内などの狭い所では太刀は使用しにくいため、空間が狭いところでも扱いやすい刀として使用されていました。
この頃から、私達が現在日本刀と呼ぶ「打刀」が登場していきました。太刀は馬の上での使用が主な使用用途でしたが、打刀は「徒戦(かちいくさ)」すなわち歩兵戦で使用するために作られた刀でした。

1-4-1.太刀から打刀へ

室町時代以降は戦国時代に入り、合戦の規模が以前よりも大きく、頻度も多くなっていきました。そうなると多くの刀が必要になり、すぐに抜刀でき、太刀よりも扱いやすい打刀が登場しました。
戦国時代では太刀と打刀両方の使用が見られました。
江戸時代に入ると打刀は帯に刃を上にして差して帯刀するようになりましたが、打刀が登場した室町時代では太刀と同じように刃を下にして帯刀していました。
この帯刀方法は「天神差し」と呼びました。江戸時代でも乗馬するときは天神差しをしていました。刀の鞘が馬に当たると馬が言う事を聞かなくなる危険があったため、天神差しをしていたそうです。

17世紀になると、刀は武士の誇りとなり、ただの武器では無くなりました。身分を証明する大切な物となり、江戸時代からは脇差との2本差しが武士には命じられていました。
また江戸時代に入ると合戦が減り、刀を使用する機会が緊急時や室内などいつでも刀を抜ける必要がある為、太刀よりも打刀が主流になりました。

2.現在の日本刀

江戸時代までは基本的に「日本刀」と刀を呼ぶことは無く「太刀」もしくは「打刀」「刀」と呼んでいました。
日本刀と呼んでいたのは日本国外の外国人が、反りのある美しい日本独自の刀をそう呼んだ事から現在でも「日本刀」という名称で親しまれています。
江戸時代が終わると、仇討ちが禁止され、廃刀令により日本刀は衰退していく事になります。
日本刀は軍刀として使用され、日露戦争では近接戦で大活躍をしたそうです。

第二次世界大戦後ではGHQによって刀狩りが行われ、多くの日本刀が失われました。
その後、日本刀の存続が危ぶまれましたが、日本側の交渉によって登録をすれば日本刀の所持が認められるようになりました。
現在では武器としてでは無く居合道・抜刀道等の武道の道具として、鑑賞する美術品としてのみ製作・所有が認められています。

まとめ

今回は日本刀の歴史を中心に見ていきました。
刀自体は大陸から日本に伝来したものですが、その後国内で独自の発展を遂げ現在の私達が知っている日本刀の姿になりました。
馬上での使用が多かった為、反りが生まれ斬るのに適している形になりました。大量の鉄を何度も打つ刀の制作方法から丈夫で折れにくい日本刀が生まれていきました。
その独特な形状と美しさ、武器としての魅力、武士の魂としての刀様々な面を持つ日本刀は国内外問わず人気のあるものになったのではないでしょうか。

現存している日本刀は博物館などに行けば見ることが可能なので、少しでも興味の持った方は一度足を運んでみてはいかがでしょうか。写真等でみるのとは違う魅力があるので、また違った魅力に気付けるかもしれません。