武士の階級・地位の分類

武士、侍と言われれば最近ですと真田丸の真田幸村や坂本龍馬などの有名な侍をイメージしたり、刀を持って戦っている姿を想像すると思います。
侍の中でも領地によって地位が変わり、真田幸村は江戸時代でいう所の「大名」と呼ばれる武士の身分でした。
時代劇や時代小説などを見ると侍の様々な役職や身分が出てきますが、どのような身分があり、どのような事をしていたかは何となくしか分からないと思います。

今回は侍の身分について説明していきたいと思います。

目次

1.侍の身分と領地

1-1.領地の単位「石」

1-2.お米と身分

2.侍の階級

2-1.大名と侍

2-2.将軍の身分

2-3.旗本と御家人

2-3-1.旗本の身分

2-3-2.御家人の身分

まとめ

1.侍の身分と領地

侍と一言で言っても様々な種類の役職があり、皆さんも将軍や大老、旗本などいくつかはご存知かもしれませんが、何で身分を判断していたかはご存知でしょうか。

当時、侍の給料は基本的に「領地」を与える「知行取り」か「お米」の現物支給の「蔵米取り」の2種類が主流でした。

その為、侍の身分は所有する領地かお米で判断される事がおおかったようです。

 1-1.領地の単位「石高」と豊臣秀吉

この領地の単位を「石高(こくだか)」といい、この単位が使われるようになったのは豊臣秀吉がきっかけでした。

豊臣秀吉は「太閤様」と呼ばれていることはご存知でしょうか。豊臣秀吉が行った政策の1つに「太閤検地」というものがあります。

太閤検地とは早い話、日本全国での田畑の測量と収穫量の調査をし、領地内での税金を集める時の資料として利用していました。

何故石高が侍の身分を表すのかピンと来ないかもしれません。

石高はその土地の田畑や屋敷などの価値を、面積に石盛という計数を掛けてお米の生産力を石単位で表示するものです。

1石は大人一人が一年間に食べるお米の量に相当するので、侍の給料は「お米」だったので雇える侍の人数がこの石高によって変化します。

その為、侍の身分を判断するときにこの「石高」という単位が使用されるのです。

1-2.お米と身分

侍の給料は領地を与える「知行取り」とお米の現物支給の「蔵米取り」の2種類がある事を前に紹介いたしました。

時代物に出て来る同心のお給料を「30俵二人扶持」と言われますが、これはお米での給料支払いの為、お米の単位で収入を指しています。

江戸時代の平均的な税率は「四公六民」と言われ、40パーセントが領主の収入となりました。

例えば100石の領地を持つ侍は40石が実際の収入となり、およそ1石は2.5俵となるため、100石の知行取り=40石の収入=100俵となり、お米でも侍の身分が判断できるのです。

ちなみに幕末での最低賃金は現金支給とお米で「三両一人扶持」と呼ばれることから「サンピン」と呼ばれており、貧乏侍を揶揄する言葉として使われていました。

2.侍の階級

侍のお給料の単位などに関しては先程の項目で紹介していきました。

では侍の階級はどのように分かれていたのでしょうか。さっそくここでは聞き覚えのある言葉の意味を見ていきたいと思います。

2-1.大名と侍

侍の身分で一番聞き覚えがある身分は「大名」だと思います。

この大名という身分はどのようなものだったのでしょうか。

大名とは昔からある言葉で、元々は地方で勢力をふるう者の事を言っておりました。それが武家社会になり、多くの領地や部下を持つ武士を指す言葉となっていきました。

時代の流れと共に「守護大名」や「戦国大名」など様々な大名が登場していきました。

江戸時代では主に一万石以上の領地を幕府から禄(給料)として与えられた「藩主」を指す言葉となりました。また大名の対義語は「小名(しょうみょう)」といい、石高の低い武家の事を指していました。

また江戸時代初期の武家諸法度では「5万石以上の石高の城主を大名」「5万石未満の陣屋を小名」と分けていました。

時代によって変化しますが、大名とは比較的広い範囲の意味を持つ階級で「1万石以上の領地を持つ藩主」を指す言葉のようです。

2-2.将軍の身分

侍の身分と言われ忘れてしまいがちなのは「将軍」という身分ですね。

江戸時代では「徳川家」が将軍の役職を務め15代「将軍」を務めました。

そもそもこの将軍はどんな仕事をする人だったのでしょうか。

まずこの「将軍」という言葉自体が略語で本来は「征夷大将軍」という役職です。

歴史の授業等で聞いた事があるかもしれませんが、この名前で習うのは「坂上田村麻呂」くらいの印象がありますよね。
征夷大将軍は元々「東夷を征討する」という意味で未開拓の地であった東北地方を開拓するのが仕事でした。

征夷大将軍は天皇の代理人という権能があったことから、日本の最高権力者の地位があり政治等を中心に行っていました。

ただ、江戸時代のように長く続く時代では、生きている内に自分の子供などに征夷大将軍の地位を譲る事がありました。引退した将軍は「大御所(おおごしょ)」とよばれ、隠居をしていても将軍よりも実際には影響力を有していた場合もあったそうです。

2-3.旗本と御家人

さてよく聞く侍の身分「旗本」と「御家人」ですが、旗本の方が身分が高くて、御家人は何となく身分が低いというのはご存知かもしれませんが、詳しい線引きはどのようになっていたのでしょうか。

時代によって細かい分類が変わってしまうので、江戸時代に時代を限定してみていきたいと思います。

 2-3-1.旗本の身分

旗本と言われると身分の高い武士というイメージがありますが、実際はどのようになっていたのでしょうか。

徳川将軍家直属の家臣団で石高が「一万石未満」で将軍が出席するイベントに参加出来る「御目見以上」の家格を持つ者と定義されていたようです。

つまり1万石以上は「大名」となるので、大名未満の侍で将軍に会える身分を持つ者という事になりますね。

旗本はどのような仕事をしていかというと、警察のように警備や護衛をする武官や町奉行や鑑定奉行、大目付や目付等の行政・司法・財政などを担当する国を運営する為に重要な仕事についていました。

時代劇でいうと遠山の金さんの遠山金四郎景元は町奉行なので旗本ということになります。

2-3-2.御家人の身分

元々御家人とは貴族や武家に仕える武士を「家人(けにん)」とよんでおり、鎌倉幕府が成立すると敬意を表す「御」をつけて「御家人(ごけにん)」と呼ぶようになりました。

こちらも時代によってかなり内容に違いがあるので、ここでは江戸時代に限定してみていきたいと思います。

徳川将軍家の家臣団で石高が「1万石未満」で将軍が参加するイベントに参加する事の出来ない「御目見以下」の家格の者と定義されています。

御家人のお給料は「お米」で支払われる「蔵米取り」でした。

どのような仕事をしていたか見ていくと、奉行所での勤務、町奉行所の与力・同心として下級官吏として働いていました。

御家人の身分は低く、乗り物や馬には乗る事は許されていませんでした。時代劇で言うと必殺仕事人の中村主水は同心なので御家人ということになりますね。

まとめ

今回は大まかに幕府に所属している侍の身分をみていきました。

そもそも石高といわれてもぱっとしませんでしたが、1石は1人の大人が1年間食べるお米がとれる土地という事でしたので、例えば1万石と言われれば1万人の大人が生活できるお米がとれる領地をもっているという事になります。

何万石と言われてもぱっとしませんでしたが、この知識を持つとどれだけの規模の人を従えていたかが分かりますね。

今回はおおまかに将軍・大名・旗本・御家人の4つを見ていきました。将軍は征夷大将軍の事だったのは意外でした。今回何となくしか知らなかった侍の身分を簡単に紹介していきました。この知識を持つだけで時代劇などが少し楽しく見れるかもしれませんね。