江戸幕府の組織図とその内容

一番長く続いた江戸時代は、時代劇や時代小説で取り上げられることの多い時代です。

時代劇などを見ていると大目付や火付盗賊改などの何をしていたかは何となく分かるけど詳しくは理解していない単語や役職が沢山出てきます。

もちろんそんなことは知らなくても十分に作品は楽しめるのですが、知っていた方がより楽しく時代劇を見られるようになりますので今回は江戸幕府の組織内容を詳しく見ていきたいと思います。

前回、前々回のコラムの内容と合わせて読むと江戸時代に生きた侍はどのような仕事をしていたかが見えて来るかと思います。

目次

1.江戸幕府の仕組み

2.江戸幕府の役職と仕事内容

2-1.将軍

2-2.大老

2-3.老中

2-3-1.老中が監督した様々な仕事

2-4.若年寄

2-5.奏者番

2-6.寺社奉行

2-7.京都所司代

2-8.大阪城代

まとめ

1.江戸幕府の仕組み 幕藩体制

江戸幕府は徳川家康が朝廷から征夷大将軍に任命された1603年から15代将軍徳川慶喜が将軍職を辞任し大政奉還(政権を朝廷に返還)をした1867年まで続きました。ただ、どこまでが江戸幕府だったのかは諸説あります。

ここまで長く政権が続いたのには「幕藩体制」という支配体制に秘密がありました。

幕藩体制とは、日本国内には地方ごとに土地を治めている「藩」があり、大名は「藩」内での政治をそれぞれ行っていました。その大名は日本全体を政治する将軍と主従関係を結び、それぞれの土地を保証し、大名の土地に関しての政治は大名にある程度任せるというものでした。主従関係を証明する手段として「参勤交代」や築城やライフライン関係の工事の義務が課せられました。

更に幕府の要職に就くのは譜代大名が殆どで、力のある大名は外様大名が多かった為幕府の政治はほぼ徳川家の独裁体制だったこともあり江戸幕府は長く続きました。

2.江戸幕府の役職と仕事内容

江戸幕府の仕組みや侍の身分に関してはこれまでのコラムで補完されましたので、ここからは江戸幕府の詳しい仕組みを見ていきたいと思います。

2-1.将軍

まずは江戸幕府のトップである将軍から見ていきたいと思います。

分かりやすく説明すると今の総理大臣のような仕事をしていました。

しかし今の総理大臣と将軍の大きく違う所が3つあります

・投票で選ばれず世襲制

・総理大臣は政権だけ所持しているが将軍は行政・司法・立法の三権すべて所持していた

・総理大臣は日本全体の行政権をもっているが、将軍は自分の所持している領土のみ(幕藩体制)

少し違う所はありますが、国を治める政治をするという点では同じですね。

徳川家康はこの後の項目で紹介する役職を作り、政治の基盤を固めました。さっそく見ていきましょう

2-2.大老

この大老という役職は国がピンチな時にのみ置かれた役職になります。

組織の中では将軍の次に身分の高い役職になります。

仕事の内容は将軍の補佐として政治全体を見てまとめる事をしていたそうです。

大老に任じられるのは徳川家と縁の深い十万石以上の譜代大名で「土井・酒井・井伊・堀田」の4家から260年間で10人しか就任していませんでした。

2-3.老中

老中は大老がいない時は江戸幕府の中で将軍の次に偉い役職でした。

老中になれる条件は2万5千石以上の譜代大名というものでした。

定員は5~6名おり、月ごとに当番を決め月毎に1人づつ交代し勤務していました。

2-3-1.老中が監督した様々な仕事

老中の主な仕事は朝廷・公家・大名・寺院に関する事、各領地の管理などを統括していました。また情報漏えいを防ぐために文書をつくらず、囲炉裏の灰の上に筆談をしていたそうです。

基本的には大目付(大名や朝廷を監視する仕事)や町奉行(裁判所)、勘定奉行(今で言う財務省)等の管理運営をしていたそうです。これらの仕事を実働で運営しているのが旗本の侍達でした。

2-4.若年寄

この若年寄という役職は老中に次ぐ重職でした。

老中は全国を管理する機関を運営しているのですが、この若年寄は旗本や御家人の管理を主軸とした将軍家の家政を担当していました。定員は6人で1~3万石の譜代大名が任命されていました。

基本的には書院番(徳川将軍の親衛隊)や鷹狩頭(鷹狩にかんしての管理)、先手組(治安維持の為の組織)、定火消役(今で言う消防署)、火付盗賊改(今で言う警察)の管理をしていました。

2-5.奏者番

奏者番(そうしゃばん)という言葉になじみがあまりないかもしれませんが、早い話この人たちは伝達係とマナーの先生をしていました。

具体的には大名や旗本が将軍に拝謁する際に、献上品を持って江戸城にやってくるのでその氏名と献上品の内容を確認して将軍に報告する仕事や将軍の前で成人式のようなものを行う大名・世子に礼儀作法を教える役目などがありました。

奏者番は20人~30人おり、日替わりで勤務していたそうです。

また初めての勤務の大名が多くこの仕事から始めるため大名にとっては出世の登竜門的な役職となっていました。

2-6.寺社奉行

江戸時代には三奉行と呼ばれる、勘定奉行・町奉行・寺社奉行の3つの奉行所がありました。

この中で、勘定奉行と町奉行は老中に管理され旗本がその仕事を行いますが、この寺社奉行はそうでは無く、大名が仕事をしていました。

寺社奉行は寺社などを監視する宗教行政機関でした。1万石以上の譜代大名が任命され、奏者番を兼任していました。

この職に付ければ、後に大阪城代や京都所司代などの重役に行けることが多く、エリートの証となっていました。

2-7.京都所司代

定員が1人で3万石以上の譜代大名から任命され、給料は1万石で与力30騎と同心100人の部下が付きました。

表向きは天皇の守護をする仕事とされていますが、実際のところは皇室や朝廷などに幕府の方針を伝え、監視するための役職でした。

江戸幕府は江戸(東京)にあるため西の方での監視の意味もあったそうです。

2-8.大阪城代

最後に紹介する大阪城代という役職はあまり聞きなじみがないかもしれません。

この大阪城代が生まれることになったのは、大阪の陣が関係しています。

大坂の陣で勝利をした徳川家は「大阪藩」を廃止にし、大阪は江戸幕府の管轄地となり、関西での将軍代理として大阪城代は仕事をしていました。

仕事の内容としては大阪城を預かり、城の警備や西国の大名の監視がメインでした。将軍の代理ということで将軍の許可なしで独断で動いてよかったと言われている資料があるようで、それなりの地位のある仕事だったようです。

まとめ

今回は江戸幕府の組織内容を見ていきました。

今回紹介したのは、全て将軍直属で仕事をしていた役所のみになります。この紹介した仕事の下に沢山の旗本と御家人が居り、実働的に働いています。

江戸幕府は独裁のような状態を創り、内部分裂を起こらないようにし、各大名にはそれぞれの国を治めてもらい不要な手間や時間を使わないようにし、朝廷をしっかり監視し、法律(禁中並公家諸法度)で管理をする。主従関係を証明してもらう為に参勤交代をさせ、反乱を起こす余力を除く等、隙無く政治のシステムを構築していきました。

ただ運が良く200年以上徳川幕府が続いた訳では無く、しっかりと長く続くにはそれなりの理由があったのです。

浅く広くになってしまいましたが、どんな仕事があったのか、何をしていたのかは知る事ができたかとおもいます。

時代物の作品を観たり読んだりするときは、少しこのコラムの内容を知っていれば、楽しさや分かりやすさが増して、もっと楽しめるかもしれませんね。