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時代劇とヒーローの種類

殺陣の知識

年に数本は時代劇の映画が上映されています。最近上映されている時代劇映画は昔のザ・時代劇というような物よりもアニメ・漫画原作の映像化作品が多く、派手なアクションや殺陣で観客を魅了しています。
昔の時代劇映画は今の時代劇映画とはまた一味違う面白さがある殺陣が観ることができます。

前回に引き続き、今回も時代劇のヒーロー達を紹介して行きますが、前回は少しマニアックなヒーローを取り上げました。
その為今回は誰もが聞いた事がある時代劇のヒーローを見ていきたいと思います。

目次
1.眠狂四郎
1-1.眠狂四郎と柴田錬三郎
1-2.眠狂四郎と市川雷蔵
1-3.眠狂四郎と映画
2.木枯し紋次郎
2-1.木枯し紋次郎と笹沢左保
2-2.木枯し紋次郎と中村敦夫
2-3.木枯し紋次郎とテレビドラマ
まとめ

1.眠狂四郎
眠狂四郎と言えばだれもが一度は聞いた事がある名前かと思います。眠狂四郎と言われてピンと来ない人は「円月殺法」と言われればピンとくるのではないのでしょうか。
眠狂四郎といえば円月殺法で、キレイに円を描くシーンは有名ですね。
この眠狂四郎が人気になったのは「大菩薩峠」の「机竜之介」のニヒルな武士が流行し、その流れを汲んで生まれたニヒルな侍だったからではないのでしょうか。
1-1.眠狂四郎と柴田錬三郎
眠狂四郎は「柴田錬三郎」が作者の「眠狂四郎無頼控」という作品の主人公です。
この眠狂四郎無頼控は「週刊新潮」で連載された小説でした。この依頼を受けた時作者は主人公のネーミングにとてもこだわったそうです。
まず主人公を考えるときに浮かんだのは「大菩薩峠」の「机龍之介」だったそうです。
机は毎日すべての人間が使うもので、これは覚えてもらいやすい。その机より人間にとって切っても切れないものは何か。それは睡眠。という事から「眠」という名前がうまれたそうです。
眠狂四郎はヒーローとは真逆の設定で固められており、外国人と日本人の混血であり、平然として人を斬り、深い生い立ちを背負って生きるという当時では信じられない設定が話題を呼びました。

1-2.眠狂四郎と市川雷蔵
眠狂四郎と言えば、市川雷蔵とセットになっていますが、最初は鶴田浩二が眠狂四郎を演じていました。
1963年に市川雷蔵が「眠狂四郎殺法帖」が作られますが、この1作目はそこまで流行ることは無く、4作目の「女妖剣」のヒットから本格的にシリーズ化され1969年の「悪女狩り」まで12本作られました。
シリーズは失速する事無く制作されていましたが、市川雷蔵の死によってこの映画シリーズは終了する事となりました。

1-3.眠狂四郎と映画
先程も説明した通り、眠狂四郎は鶴田浩二で3本映画が製作されました。しかし、この時それほど評判にならず、有名な円月殺法も小手先で刀を回すだけで印象的なシーンでもありませんでした。
その後テレビで眠狂四郎がシリーズ化されました。このテレビシリーズは江見渉が眠狂四郎を演じました。この時から現在の円月殺法に少し近くなってきました。
その後市川雷蔵の眠狂四郎シリーズの映画が始まりました。
この市川雷蔵の眠狂四郎4作品目でストロボ撮影での円月殺法が使用され、これが定着していきました。

眠狂四郎が人気になったのは単純なニヒルなスーパーヒーローでは無く、生きる目的は無くても侍としての精神性はもっており、権力や世俗的なものから距離をとり、己の道を剣と共に進む人物だからこそ人気になったのではないでしょうか。

2.木枯し紋次郎
「あっしには関わりござんせん」というセリフは聞いた事はあるでしょうか。股旅ヒーロの代表となった木枯し紋次郎のセリフです。
股旅といえば三度笠に縞模様の合羽を着て人情深く、訪れた土地での問題を解決しふらりと次の町へ旅していくものですが、木枯し紋次郎はこのようなお決まりとは一味ちがった作品でした。
この木枯し紋次郎はどのような作品だったかを見ていきましょう。

2-1.木枯し紋次郎と笹沢左保
木枯し紋次郎は1971年に「小説現代」で連載が始まったシリーズで、平成7年から「小説新潮」で「帰って来た木枯し紋次郎」として復活をしました。
木枯し紋次郎は天保から幕末にかけて「やくざ」が発生する時代の要因を考証を綿密にし、リアルな渡世人を生み出しました。義理人情だけでは済まされないやくざ社会の反目や裏切りは作者の笹沢左保の推理作家としての力と交わり、各話のどんでん返しが魅力となって行きました。
主人公の紋次郎は笹沢の作りたかった「孤独と人間不信」というテーマを具現した人物だそうです。

2-2.木枯し紋次郎と中村敦夫
元々木枯し紋次郎は映画化とテレビドラマ化されました。
テレビドラマで紋次郎を演じたのは「中村敦夫」でした。当初は田宮次郎をイメージしていたのですが、ギャラで折り合いが付かなかった為、当時はビックタレントでは無かった中村敦夫に白羽の矢がたったそうです。
これが功を奏し中村敦夫のリアルな孤独な演技がハマり大ヒットとなったそうです。

映画の方は菅原文太が紋次郎を演じ2本製作されましたが、任侠映画の大スターである菅原文太のイメージが強く、皆が望む紋次郎にはなりきれなかったそうです。

2-3.木枯し紋次郎とテレビドラマ
木枯し紋次郎はテレビドラマで人気を付けましたが、その人気はすごく紋次郎グッズが何点も生まれ、紋次郎ラーメが誕生し、ついには紋次郎が生まれた三日月村まで出来るという社会現象になりました。

テレビドラマ版の立ち廻りは今までのチャンバラとは一味違い、立ち廻りをするのは身動きがとり難い泥田や川で行い、かっこつけるような立ち廻りではなく、泥臭くリアルな立ち廻りが斬新なものに映り、人気を付けることに一役かいました。
紋次郎は百姓上がりの為、侍が行う殺陣とは一味違い刀を抜く理由をつけるのに苦労したと殺陣師の美山晋八さんはおっしゃっていたそうです。

紋次郎と言えば「口の楊枝がピューと鳴る。噂のあいつが紋次郎」という芥川隆行のナレーションと主題歌「誰かが風の中で」のお決まりも作品を盛り上げました。

まとめ
今に比べ昔は時代劇が沢山作られていました。その為様々な種類のスターが生まれました。
いわゆる勧善懲悪モノだけではなくニヒルなスターも沢山誕生しました。

昔の時代劇は何も気にせず見ても充分面白いのですが、殺陣に注目してみると作品ごとに殺陣の種類が違い、作中のキャラクターと演者がシンクロしていて作品を印象付ける殺陣となっています。現在の殺陣もアクション寄りで激しく見所はあるのですが、昔の間を使った殺陣も見所がありますので是非一度はみていただきたいです。

それだけではなく、所作や言葉使いもしっかりと時代考証されていますので知識を付ける事もできます。
戦後の時代劇を見ると歌舞伎役者が主演を演じる事が多かったので立ち姿や太刀筋、セリフ回しが今の時代劇では中々見ることが出来ないものが観れるのでご興味がありましたら一度見てみることをおすすめします。

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