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江戸時代の娯楽 浮世絵

歴史コラム

今年2016年は江戸時代の画家「伊藤若冲」が生誕300年と言うことで東京都美術館にて「生誕300年記念若冲展」が開催され、320分の入館待ちが起きたことで少し日本画が話題になりました。

江戸時代に娯楽のひとつとして生まれた「浮世絵」ですが、日本国内外問わず現在でも人気があります。

この浮世絵、一つの作品としてみるだけでも面白いのですが注意深くよく見てみると当時の暮らしや着付け、戦の道具など様々な事に発見があり歴史的資料として見てもとても面白いものとなっています。

今回は浮世絵の歴史と絵師について詳しく見ていきたいと思います。

目次

1.浮世絵の歴史
1-1.大和絵と唐絵
1-2.浮世絵の発祥

2.浮世絵の種類と有名な絵
2-1.浮世絵の種類
2-2.浮世絵の題材
2-2-1.浮世絵の美人画
2-2-2.浮世絵の役者絵
2-2-3.浮世絵の芝居絵
2-2-4.浮世絵の名所絵
2-2-5.浮世絵の判じ絵

まとめ

1.浮世絵の歴史

まずは浮世絵とはどのようなものかを知る為に、歴史から見ていきたいと思います。

私達のイメージする浮世絵はCMなどでも使われている東洲斎写楽が書いた歌舞伎役者の絵や歌川広重の東海道五十三次などが一番多いかと思います。

その絵が生まれるまでには様々な変化と発展を遂げていたのです。

1-1.大和絵と唐絵

そもそも、浮世絵とは江戸時代に生まれた絵画のジャンルであり、文字通り「浮世」とは「現代」を指す意味があり当時の風俗を描いている風俗画です。

もちろん当時の日本で起きた事や人物等を題材にしている為、絵の種類は日本独自の「大和絵」と言われる絵の流れを汲んでおり国外では類を見ない絵となっています。

大和絵は平安時代の国風文化の時期に発展した日本的な絵を指しており「日本画」と書いて「やまとえ」と読む場合もあります。

分かりやすいのが源氏物語絵巻や百人一首のイラストを想像してもらえれば分かりやすいとおもいます。

それに対し中国風の絵を「唐絵(からえ)」と呼んでいました。

こちらは想像しにくいかもしれませんが、学生の頃一度は教科書でみた「雪舟」という絵師の水墨画を想像してもらえればイメージはつくかと思います。

1-2.浮世絵の発祥

浮世絵という言葉が生まれたのは江戸時代からでしたが、そのルーツはもっと前「室町時代」にありました。

室町時代末期に風俗画が上方を中心に流行し、町の様子や年中行事などが画題に描かれました。この時に各地の祭礼を描いた祭礼図や合戦図、婦女図などが後の浮世絵に発展していきます。

浮世という単語は江戸時代初期に生まれています。つらい事だらけの「憂き世」に

はかない人生を意味する「浮世(ふせい)」を合わせ「浮世(うきよ)」という洒落からうまれた造語でした。

町人たちは政府に対する不満や鬱憤のはけ口が歌舞伎や遊郭などの享楽の世界に求めていました。遊郭から美人画、歌舞伎から芝居絵が生まれているとされています。

また浮世絵は当時の流行や事件に敏感だった為マスメディア的な要素も持っていたそうです。

2.浮世絵の種類と有名な絵

浮世絵にも種類があり、木版画・肉筆絵の2種類があります。

一般市民の手に回ったものは、木版画のもので多く刷り上げる事が出来る安価なものでした。

今でこそ当時の浮世絵は貴重なものになってしまい、額縁に入れ大切に保管されていますが、当時は手に取って眺め楽しまれていたそうです。

どんな浮世絵があったのか詳しく見ていきましょう。

2-1.浮世絵の種類と題材

浮世絵の題材にされるものは、歌舞伎などの演劇、古典文学、和歌、地域の伝説や奇談などの風俗、風景など多種多様なものが題材とされていました。

私達が想像する浮世絵は紙1枚に書かれている物を想像するかもしれませんが、巻物に書かれている肉筆浮世絵も存在していました。それだけでは無く、本の挿絵なども浮世絵とされていました。

また浮世絵師には、日本の画壇の流派である狩野派と土佐派の出身の絵師が多かったそうです。

浮世絵が流行した初期(明歴の大火の頃)は肉筆画か木版の単色刷り(黒一色)が主流でした。その後、紅絵や丹絵などの色がついた三色刷りのもが生まれてきました。

井原西鶴の「好色一代男」が初めて浮世絵という言葉が確認できる最古の文献となっています。

中期になると多色刷りの技術が完成し、浮世絵文化が発展していきます。この時から下絵師、彫師、摺師の分業体制が生まれます。

江戸時代も後期になると美人画や役者絵、旅行ブームによって風景が流行したそうです。

2-2.浮世絵の題材

先程も説明した通り、浮世絵の題材は様々なものがありました。

ここでは人気のあった浮世絵の種類と絵師について少し紹介して行きたいと思います。

2-2-1.浮世絵の美人画

大まかに説明すると女性を描いた浮世絵の事を言います。

題材にされるものは当時人気のあったお店の看板娘、井原西鶴の好色五人女で有名な八百屋お七、小野小町など多数の有名女性などが書かれていたそうです。

美人画で有名な絵師は喜多川歌麿でした。

喜多川歌麿の美人画は有名人を題材にするのではなく、茶屋の娘など無名の女性を題材としていましたが、歌麿が題材にした女性はいっきに江戸中に広まり有名人になっていたそうです。その為歌麿の浮世絵は一つのメディアとして存在していたそうです。

2-2-2.浮世絵の役者絵

役者絵は今で言う、アイドルのブロマイド写真のようなものや、広告のチラシのようなものがありました。

浮世絵の中でも、一番多く題材にされたのが役者絵でした。

最初に役者絵を描いたのは鳥居清倍(とりいきよます)が市川団十郎を描いた事が始まりでした。

役者絵の中でも東洲斎写楽は有名で、ドイツでは世界三大肖像画家とされています。

2-2-3.浮世絵の芝居絵

芝居絵は名前の通り、芝居そのものを描いたものでした。

当時の芝居は主に歌舞伎だった為、歌舞伎絵ともいわれていました。

主に公家や武士の出来事を扱った時代物と江戸時代の庶民の出来事を扱った世話物の2種類がありました。

浮世絵は今で言う写真のような役割があったのかもしれませんね。

2-2-4.浮世絵の名所絵

名所絵は日本各地の名所を描いた風景画です。

当時中々自由に旅行が出来なかった庶民が名所を知るために使用されていたそうです。

また旅行のリーフレット的な役割をもっていたそうです。

私達が浮世絵と言われて思いつくであろう東海道五十三次や富嶽三十六景などが風景画です。この名所絵は当時の名所の様子や風景等を知る事が出来る浮世絵となっています。

2-2-5.浮世絵の判じ絵

判じ絵と言われてもピンとする方は少ないかもしれません。

簡単に説明すると言葉を人や物の絵に置き換え、絵で表現した謎解き絵の事です。

例えば、台の上に狐が乗っている絵はダイコンと読んだりと洒落や言葉遊びが取り入れられた絵でした。

また天保の改革によって風紀の取り締まりが厳しくなると、浮世絵に役者の名前が載せられなくなった為、この判じ絵を使用していたそうです。

まとめ

浮世絵について見てきましたが、現在の私達が楽しむような絵の楽しみ方だけではなくマスメディアのとしての役割も強く持っていました。

浮世絵の値段ですが当時の「そば1杯」と同じで1枚20文程度で、そばは16文程度でした。浮世絵は安価なもので親しみやすいものだったのですね。

浮世絵は日本だけではなく外国にも人気がありました。外国では印象派の画家に影響を与えており、ゴッホが歌川広重の浮世絵を模写したことは有名ですね。

庶民の間で流行していた浮世絵が海外に渡ったのには理由があります。日本製の陶器が海外へ輸出された時に包み紙として海外へ広まっていきました。

日本国内だけではなく国外でも人気が出た浮世絵は庶民の楽しむ娯楽作品としてだけではなく美術品としての価値があったようですね。

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