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忍者の仕事と起源

歴史コラム

サムライブで海外からのお客様と殺陣体験レッスンをすると、侍と同じくらいに「忍者」の人気があります。多くの外国人の方が持つ日本のイメージの1つといっても過言ではないでしょう。
もちろん日本に住む私達も忍者のイメージはあるかと思いますが、実際はどのような事をしていたか知っている人は少ないかと思います。
そもそも忍者はなぜ誕生したのか、忍術を使って実際に戦っていたのか等知っているようで知らない事が沢山あるかと思います。
今回は侍や武士道から少し離れて忍者の起源や仕事を説明していきたいと思います。

目次

1.忍者は実在したのか
2.忍者の歴史
2-1.忍者の起源
2-2.忍者の変化
3.忍者の流派
3-1.伊賀忍者
3-1-1.服部半蔵の活躍
3-2.甲賀忍者
3-3. 伊賀と甲賀の対立
4.忍者の仕事
4-1.忍者が行った情報収集と手段
4-2.自国の情報管理
4-3.最上の忍術とされている謀略
4-4.戦場での忍者の仕事

まとめ

1.忍者は実在したのか

まず、最初に忍者は実在したのかどうかを見ていきたいと思います。
実は歴史的な資料をいくら探しても「忍者」という記載は一切ありません。「忍者」という言葉が生まれたのは昭和に入ってからで、山田風太郎を始めとする小説や漫画が発祥のようです。
それでは忍者は実在しなかったと思ってしまうかもしれませんが、ちゃんと実在していました。
実在しなかった訳ではなく「忍者」とは呼ばれておらず、地方ごとによって呼ばれ方が違っており、全国で通じる名称はありませんでした。
「透波(すっぱ)」「草(くさ)」「突破(とっぱ)」「忍兵(にんべい)」等、様々な呼ばれ方がありました。ちなみに「すっぱ抜く」「突破する」の語源はここから来ているそうです

2. 忍者の歴史

忍者といえば「伊賀」や「甲賀」の名前が出てくるとは思いますが、いつ頃に「忍者」と呼ばれる人達が誕生し、消滅していったのでしょうか。
意外と知っている人は少ないと思いますので、ここで見ていきたいとおもいます。

2-1.忍者の起源

忍者の起源は諸説あり、どれが真実なのかは判明しておりません。ここでは「中国説」「日本古来説」の2つの起源とされる通説を紹介します。

・中国説…紀元前500年前の兵法書「孫子」に「間(かん)」と呼ばれる敵地から情報収集をするスパイに関しての記述があり、大陸から伝来してきた説。
・日本古来説…聖徳太子は物部氏と戦った丁未の乱で活躍した大伴細人に対し「志能便(しのび)」という名を授け、様々な調査をさせていた事や「日本書紀」に忍術を使い賊を倒した事から日本古来のものとする説。

この2つの説を組み合わせてみると、大陸でスパイのような活動をしていた「間」が日本に伝わり、日本国内で独自に変化し「忍者」が誕生したのかもしれませんね。
日本書記には新羅のスパイを捕らえた記録等も残っており、忍者の起源は相当昔にある事は確かみたいです。

2-2.忍者の変化

日本での忍者の活動が明確になってきたのは、荘園(私有地)が誕生してからでした。所有地の奪い合いが始まると、敵地への潜入や奇襲が重要になってきました。
このスパイのような役割を行っていたのが自分の土地を持たず荘園の周りに定住していた人達でした。後にこのような人達の集まりを「悪党」と呼ぶようになり、後の「忍者」になります。
その後、戦国時代までは戦での重要な役割を負ってきた「忍者」ですが、江戸時代になると天下統一され活躍の場が無くなっていきました。次第に払われる給料も減っていき、中には盗賊になるものや、忍術を利用した芸をする芸人になった者もいたそうです。
庶民のエンターテイメントになった忍術が現在の忍者像になったのかもしれませんね。

3.忍者の流派

これまでに忍者の起源から変化を見てきました。忍者・忍術は日本独自のもので、流派の数は文献に残っているものだけで70は超えているそうです。
その中でも誰もが知っている流派「伊賀」と「甲賀」があります。
伊賀と甲賀は隣接しており、忍者が誕生するのに適した土地だったそうです。山に囲まれ
京都に近く情報収集の仕事が沢山あり、忍術などを学ぶのに適していたそうです。
創作ものでは、何かと対立しているこの流派ですがどのような違いがあったのか、実際には対立していたのかを見ていきたいと思います。

3-1.伊賀忍者

伊賀は小さい国が沢山あり、とても小さい範囲で戦争を行っておりました。山に囲まれ、領地を奪っても農作物も取れず利点が無い土地だったので外の大きな国から攻撃を受ける事はあまりなかったようです。
しかし、万が一に備え外敵に対しては伊賀が一丸となって立ち向かう協定がありました。
織田信長が天下統一をしている際に2度攻め込まれますが、この協定がとても有効に働き一度目は追い返し、2度目は4万の兵を相手に戦いました。
最終的には荒廃してしまいましたが、その結果全国に散らばった伊賀忍者たちが全国に忍術を広めたとされています。

3-1-1.服部半蔵の活躍

伊賀が有名になったのは、一番有名な忍者といっても過言ではない「服部半蔵」の活躍がとても大きいと思われます。
徳川家康の最大の危機であった伊賀越えの際に活躍したのが「服部半蔵」でした。
本能寺の変で織田信長が暗殺され都が戦乱の地になってしまいました。その時に徳川家康は大阪の境に居り、都を通らずに三河に戻るためには伊賀を通らなくてはなりませんでした。
織田信長が攻め落とした伊賀の土地を通るのはとてもリスクの高い事でしたが、伊賀忍者だった服部半蔵が伊賀の侍や忍者達を説得し、家康が安全に通過できるよう荒れた伊賀を安全に通過させたという活躍をしました。
この事から江戸幕府が成立した時には伊賀同心組として厚遇され、伊賀の名を世間に広めました。

3-2.甲賀忍者

伊賀と甲賀の状況はほとんど同じでしたが、伊賀は伊賀国だったのに対し、甲賀は近江の国の一部、甲賀郡だったという点です。そうなると規模も伊賀と比べると小さくなってしまいます。
そんな状況でも甲賀が有名になったのは「望月出雲守(もちづきいずものかみ)」という忍者の活躍があったからでした。
室町幕府が近江国の六角氏を討伐しようとした際に、六角氏は甲賀へ逃げ込みました。その際に甲賀の忍者達が善戦を繰り広げ、六角氏を守り抜き室町幕府を崩壊させるきっかけを作りました。
その時に活躍したのが「望月出雲守」で、戦いが霞を持って魔法を使うといわれるほど鮮やかだったそうです。

3-3.伊賀と甲賀の対立

忍者関連の創作ものだと、大体この「伊賀」と「甲賀」は対立をしていますが、実際はどうなっていたのでしょうか。
結論から述べると伊賀と甲賀とても仲が良く、「甲伊一国」と言われるほど一体化されていたそうです。実際にどちらかが攻められていた時にはお互いに助け合っていたそうです。
何故対立しているイメージが強いかというと、織田信長が原因でした。
伊賀に織田信長が攻め込んだ際に、甲賀は織田家の配下であった為、伊賀と戦わなくてはいけなくなってしまいました。この出来事から、伊賀と甲賀に対立関係があるイメージがとても強くなってしまいました。
江戸時代になると、どちらも徳川家康の配下になった為、確執などは無かったそうです。

4. 忍者の仕事

これまでは忍者の歴史を中心に見てきました。最後に忍者はどのような仕事をしていたかを見ていきたいと思います。
戦闘以外にも忍者の仕事は多く、どのような任務でも忍術を使用していたそうです。
皆さんのイメージする忍者と実際の忍者はどのような違いがあるのでしょうか。

4-1.忍者が行った情報収集と手段

忍者は戦闘要員としての仕事だけではなく、情報収集もしていました。
戦の起こっていない平常時には、敵の城など重要な場所に潜入し、盗み聞きをしたり文章を盗んだりしていました。
敵国の経済状況や町人の様子などは、忍者ではなく宗教者の「歩き巫女」や運送業者を使って情報を集めていたそうです。
戦争時は、戦況の把握や伝令など敵の様子を伝える事が多かったそうです。戦争時の働きは忍者の専売特許というわけではなく、ほかの侍なども行っていたそうです。

4-2.自国の情報管理

敵国の情報収集も大切だが、自国の情報を外に出ないようにすることもとても大切でした。
敵国に情報を出ないようにすることを防謀といいました。
自国に忍び込んだ敵国の忍者への攻撃、重要な場所の見張りや警備などを行っていました。
それだけでは無く、敵国に偽の情報を流す為にスパイにわざと偽の情報を渡したり、敵国と自国を商売で行き来している商人に対して、少しずつ嘘の自国の情報を流したりと情報管理をしていたそうです。

4-3.最上の忍術とされている謀略

忍術の中でもかなりの割合を占めている「謀略」ですが、簡単に説明すると、敵国に味方を作ったり送り込んだりし、国内で対立を起こすように働きかけ敵国を内部から弱らせる事です。
忍術の中でも重要視されている「謀略」ですが、実際には中々使う機会はなかったそうです。
忍者の身分がとても低かったので、敵国の人を口説き落とせる事もあまり無く、敵国に入り込んだとしても、低い身分で雇われるので直接的に謀略を遂行するのは難しかったそうです。
敵地に忍び込んだ忍者は、敵国の手紙を自国に流したりなどの秘かな任務が多かったそうです。

4-4.戦場での忍者の仕事

戦争時に忍者は侍と同じように戦っていたのではありませんでした。
忍者が主に行っていたのは、橋を落としたり、細い山道を崩したりして足止めをしたり、敵国の食料や野営地の天幕を燃やしたり、戦争の混乱に乗じての暗殺や、潜入工作をしていました。
忍者は土木関係や火の扱いに長けていた為、戦争時に忍者はこのような事をしていました。
このような行為は武士にとってはあまり意味のない行為で、行ったところで何の功績として残らないので、忍者のような特殊技能を持った雑兵が行う事になっていったそうです。

まとめ

今回は忍者の起源と仕事内容を見ていきました。
起源は諸説ありますが、古いものだと侍・武士よりもかなり前に忍者は存在していたようです。
忍者の仕事の内容は、私達がイメージするような恰好よく、忍術を沢山使って激しい戦いをするようなものでは無く、意外と地味なものが多かったようです。
忍者の身分もとても低かったのもイメージと違ったのではないでしょうか。
今回は忍術や忍具の話が出来なかったので、次回は実際に忍者はどのような忍術・忍具を使用していたのかを追っていきたいと思います。

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