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剣術の流派

殺陣の知識

剣術には様々な流派が存在する。またその数だけ剣豪が存在する。
なぜ人は剣豪に憧れるのだろうか?
宮本武蔵、柳生十兵衛や沖田総司など数多くの剣豪をテーマとした小説、漫画、映画やテレビドラマなどが多く存在している。
そうして剣豪のイメージを作り上げてきた。

剣豪をもっと知るために剣術流派を知るのが一番である。
剣術の流派はその人の哲学であり、人生そのものを示すものといっても過言ではないのだから。

剣術の起こりである『関東七流』『京八流』『剣術三大源流』について触れていきたいと思う。

目次

1.剣術の起こり

1-1.関東七流
1-2.京八流
1-3.剣術三大源流

2.念流

2-1.念阿弥慈恩
2-2.護身の剣
2-3.体中剣
2-4.型、稽古
2-5.派生した流派

3.天心正伝香取神道流

3-1.飯篠長威斎家直(いいざきちょういさいいえなお)
3-2.戦わずして勝つ
3-3.武芸十八般
3-4.型の特徴
3-5.派生した流派

4.陰流

4-1.愛洲移香斎
4-2.蜘蛛に教わる
4-3.陰流の理念
4-4.変幻自在の剣
4-5.派生した流派

1.剣術の起こり

剣術の起こりは、まず関東と関西で分かれる。
それが『関東七流』『京八流』である。
『剣術三大流源』がその後に生み出され、この三大源流が我が国の剣術のパイオニアとなっている。
たくさん存在している剣術の流派の元はこれらの流派が元となっているのだ。

1-1.関東七流

日本の最古の剣術流派とし挙げられるのが、『関東七流(鹿島七流)』だ。
時代は古墳時代(恐らく440年頃)、古代の神に仕える神官が編み出した流派と言われている。

古墳時代に常陸国鹿島(現在の茨城県鹿島市)で生まれた。
この地に鎮座する鹿島神宮に代々仕える、松本、吉川、小神野、額賀といった七つの神官の家に伝承された剣術であることからこの名があるのだ。

鹿島神宮で神官を務めていた、国摩真人(くになずのまひと)という人物が、太古の昔から鹿島神宮に伝わる「祓太刀」と呼ばれる太刀術を習得し、その秘技を「神妙剣」としてまとめ、神官の家に伝えたのだ。

当時の刀剣は反りがなく刀身が真っ直ぐだったため、相手を斬るより突く・刺すが主体、あるいは反りのない刀身を損ねないように斬ったりする直刀の理法に適った剣術ではないかと言われている。(古代の昔の剣術のため、どのような技であったかは不明であるため予測となる。)

1-2.京八流

関東七流誕生から七百年後の平安時代後期(1160年頃)、関西でも日本剣術のさきがけとなった流派が生まれた。それが『京八流』だ。
関東七流が神官であったのに対して、京八流は僧侶に伝えられていったとされている。

創始者は京都の一条堀川に住んでいたとされる鬼一法眼という陰陽師と言われている。
この法眼が京都の鞍馬山で八人の僧侶に教えられたことから『京八流』と呼ばれる。

この八人の中にかの有名な「源義経」がいたとされている。義経が天狗に剣術を学んだと伝説が語られているが、実はこの天狗は鬼一法眼で、京八流を学んだのではないかと考えられる。

京八流も詳細は不明だが、その流派の末裔として『吉岡流』という流派が残っている。
宮本武蔵が吉岡兄弟と仕合をしたことは有名であり、その吉岡兄弟が使っていた流派である。

1-3.剣術三大源流

日本の本格的な剣術流派の登場は室町時代まで遡る。
室町時代に『念流』『天真天正香取神道流』『陰流』が立ち上げられ、これら三つを源流として剣術は大きく発展し、後世にいくつもの流派を作り出した。
全国に存在する剣術はこの三つのどれかから派生した剣術と言われているぐらいだ。

また念阿弥慈恩(念流の開祖)の高弟・中条長秀が創始した『中条流』を加えて四大源流とする場合もあるそうだ。

次章で剣術の大元となっているそれぞれの三大源流の流派についてまとめていきたいと思う。

2.念流

剣術三大源流の中でも、一番最初に生まれたのが、この『念流』と言われている。
創始者の念阿弥慈恩は、仇討で全国を回って修行を重ねる中で念流を編み出したそうだ。
基本理念は「護身の剣」と言われている。

2-1.念阿弥慈恩

念流の創始者の名前は『念阿弥慈恩』。
南北朝時代から室町時代にかけての人物で、日本最初の『剣豪』と言われている。

幼き頃から仏門に帰依していたが、5歳の頃に父を殺害されてしまった思いが消えず、いつかする仇討のために日夜剣の修行をしていた。
10歳の頃から自分の腕を磨くため全国行脚を始め、全国各地で様々な者から技を伝授してもらい、九州の筑紫の安楽寺で剣の奥義を会得し、念流を創始したと言われている。
18歳の頃に還俗し、亡き父の仇を討ったとされる。
後は、再び仏門に入り、剣術の研鑽を重ね諸国に剣術、兵法の指南をしてまわったそうだ。

2-2.護身の剣

念流の特徴は『護身の剣』と言われている。

慈恩の弟子の1人あった樋口太郎兼重が「樋口念流」を創始し、それが現在『馬庭念流』として継承されている。
『馬庭念流』の教義は「後手必勝」「徹底した守りを理念として、全ての人生に通ずる剣法である」ことを旨としている。
争うことを善してせず、あくまで「剣は身を守り人を助けるために使うもの」という理念がそこにはある。

念流の入門者は武士だけでなく、百姓や町民にも広く門戸を開いていた。
こうして自分の身を守る剣術として受け継がれてきた。

2-3.体中剣

念流には、体から根が生えたように地に足を付け、身体を木の幹のように見立て、剣を一本の枝のように使う構えが多くある。これを『体中剣』といって、念流の秘伝と言われている。

体中剣で剣を構え、相手の剣の打ち込みを受けきるだけでなく、相手が打ち切るより少し前に自分の剣を相手の剣に付けるように動く。
こうすることで相手の攻撃を無力化し、そのまま相手を斬り割る動きに転ずる。

相手の動きを読むこと、つまり相手の「しん」を取る事によって、力を入れなくても相手の動きを制することができるのだ。

2-4.型、稽古

いくら守りの剣と言っても、相手を完璧に制するだけの力が無くては守ることはできない。
鍛錬を重ねて得られる経験や運動神経があってこそ、念流の守りの剣は可能となる。

念流でまず始めに学ぶのは「上略」「中略」「下略」「武構」「合掌」という五つの技からなる『表五本』の型である。
この表五本の型稽古を繰り返し行うことで、「体造り」「手の締まり」「気合」の三つを養成するのだ。

念流ではの構えは独特で、重心を後ろに置くことが多い。
それは下半身で体を支えて相手の動きを受け止め、更に攻撃に転じるための土台とするためだという。
念流の稽古では下半身作りが一番大事とされている。

2-5.派生した流派

念流は様々な剣術の源流ともなっている流派であり、その弟子たちがその教義を受け継ぎ、立ち上げた流派も少なくない。

代表的なものを言えば、今もその教義が色濃く反映されている『馬庭念流』。弟子の1人である樋口太郎兼重がその剣術流派を立ち上げた。
四大源流として考えた場合の『中条流』もまた念流の弟子の一人、中条長秀が創始したものである。

中条流を引き継ぎ、『冨田流』流派があるのだが、それは宮本武蔵のライバルとして名高い佐々木小次郎が学んだとされている。
冨田流からの流れは、伊藤一刀斎の『一刀流』、鐘捲自斎の『鐘捲流』、佐々木小次郎の『巌流』がある。

3.天心正伝香取神道流

室町時代に「剣の聖地」である香取神宮で生まれた流派。
剣術、槍術、棒術、柔術などあらゆる武芸を備えた総合武術である。

鹿島神宮で編み出された『鹿島の太刀』をもとにした『関東七流』と、飯篠長威斎という人物が香取神宮で独自に編み出した技とを融合、体系化し、『天正天神香取神道流』を創始した。
そのため、鹿島と香取は『剣術発祥の地』とされている。

3-1.飯篠長威斎家直(いいざきちょういさいいえなお)

飯篠長威斎家直は天心正伝香取神道流の創始者であり、鹿島と香取の剣を体系化させた人物である。また後の剣術、槍術、長刀などの流派の根幹をなした。

武士の出で、小さい頃から武芸をよくし、守護大名・千葉氏に仕官したり、八代目将軍・足利義政に使えたことのある名高い武士であった。
しかし、仕えていた主人が自刃し、滅亡の憂き目にあった長威斎は武芸をもって、武士として生きることの儚さを知り、「武芸とは、互いに血を流し殺し合うためのものではない」と悟り、戦うためではなく剣の奥義を極めるために修行に打ち込む。

そこで今まで決まった型が存在しなかった武術の体系化をはかる。
鹿島神宮と香取神宮の剣の奥義を融合させ、『天心正伝香取神道流』をつくる。
「天心正」とは、鹿島・香取両神宮の総称である。

3-2.戦わずして勝つ

天心正伝香取神道流の極意は『戦わずして勝つ』である。
長威斎の理念は「兵法は平法なり」「敵に勝つ者を上とし、敵を打つ者は之に次ぐ」というものだ。
つまり、みだりに兵法を用いるべきではないということだ。

「隈笹の対座」というエピソードがある。
長威斎は他流試合を挑まれると、いつも庭に生やしている隈笹の上に在して応対していた。
その様子が、笹の上に浮かんでいるように見えたので、多くの者は長威斎と自分の実力差を感じて敗退したという。

創始から六百年経った今でも門弟で命を奪ったり、落としたりするものはほとんどいないそうだ。

3-3.武芸十八般

この流派の特徴は、剣術だけでなく、槍術、居合術、柔術、棒術、薙刀術、手裏剣術など、さらには軍配法や築城法、陰陽気学などを含めた軍学まで網羅した、いわゆる『武芸十八般』と呼ばれたあらゆる武芸を備えた総合武術であることだ。

こうした流派となったことには時代の影響が大きいと思う。
長威斎が生きた時代は戦国時代であった。
つまり、戦国時代の主流の武器に槍があったため、その技術の必要性が高かったことも伺える。
また香取神宮は、南北朝時代に槍術が発祥した地であるのも要因の一つかと思われる。

3-4.型の特徴

「臨機応変に対応できること」「他の流派の武芸者に技の意図を悟られないようにする」の二点が強く型に反映されている。

戦場をイメージして作られているため、基本の型となる「表之太刀」をはじめとして、組太刀は一本が非常に長く、動作も素早く、激しく、複雑だ。
いかなる状況でも瞬時に対応できる瞬発力を養うためであろう。
首筋や脇腹、手首、下股などに止めの一太刀にしている場合が多い。

また真の技を隠すために目まぐるしく動きまわることを「崩し」と呼んでいる。
通常の型稽古をした上で、この崩しを体で覚えることで、いかなる状況にも対処できる必勝の技として完成するのである。

3-5.派生した流派

同じく、天心正伝香取神道流の派生した流派はたくさん存在する。

有名なので言えば、新選組の中核を為した流派の『天然理心流』であろう。
新選組には他に北辰一刀流、神道無念流など名門流派があったが、新選組の多くはこの『天然理心流』を学んだと言われている。

他は、居合、抜刀術で有名な『林崎夢想流』であろう。
立った状態で相対する剣術に対して、刀を鞘に納めて座った状態から行う居合術を体系化した流派だ。
「卍抜け」と呼ばれる技は、長い刀を鞘に納めたままでも普通の長さの刀と変わらない速さで抜くことができたという。

4.陰流

最後の三大源流は「陰流」。
三大源流の中で一番最後に出来た流派でもある。

他の二つの流派に比べれば、極意が小動物の動きにあるなど自由度を強く感じる。
それでは最後の源流を見てみましょう。

4-1.愛洲移香斎

陰流の創始者『愛洲移香斎』は元は海賊だったと言われている。
「移香斎は若い頃に九州や関東、明まで渡航した」という記述が残っている。

幼少の頃から剣術を良くし、成長すると兵法を極めるために諸国をまわって武者修行を開始する。しかし、京都へ上洛した際、住吉流という流派との試合で手痛く負けてしまう。
雪辱を晴らすため、日向の国(宮崎県)に渡り、鵜戸神宮の洞窟にこもって仏教の守護神、摩利支天に兵法開眼を祈願し、修行に明け暮れた。
修行した後に、住吉流に再戦し、見事にリベンジを果たし、これを機に名をあげ、『陰流』を創始した。

4-2.蜘蛛に教わる

九州の鵜戸神宮の洞窟の修行では不思議なことが起こったと言われている。

修行を続けていた移香斎の元に、天井から一匹の蜘蛛が糸をつたって降りてきた。
これを扇で打とうとすると、蜘蛛は移香斎の手の上に乗ってきた。
右に打とうとすれば左に、左に打とうとすれば右に避けられ、扇を引くと移香斎の額に止まった。
蜘蛛の変幻自在の動きを見た移香斎が何かを悟ると、蜘蛛の化身となっていた神が老爺となって姿を現し、彼に兵法の秘伝を授けた。

蜘蛛に奥義を見た移香斎は、陰流を変幻自在の剣と称していた。

4-3.陰流の理念

陰流の理念は「懸待と表裏の二点に尽きる」という。

技は初手、中手、極位の三段がある。
初手は立つところ、見るところ、四方に玉のように自在に動く「玉歩」と呼ばれる足捌きなどについて、五つの稽古があるとしている。
中手では「敵の太刀の打ち処に目を付け、明鏡のようにする」「一心一心、一眼に眼に止め臆してはならない」などと臆病にならないよう喚起している。
極位では「心・眼・左足の三つのうち、一つでも一致しなければ勝つことは難しい」と解説している。

4-4.変幻自在の剣

陰流の極位は相手の行動に出ようという「気」と、これを察して対応しようとする「心機」を融合させて一体化し、その中で変幻自在、千変万化の精妙な技で対応し、相手を制するものである。
この考えは「転し(まろばし)」といい、陰流の、その後の新陰流、柳生新陰流ほか陰流をルーツとして発展した剣術の基本理念となっている。

また極位を開眼させたのは、蜘蛛や猿、燕など小動物の自然な動きである。
蜘蛛も猿も摩利支天の使者として扱われている。

4-5.派生した流派

陰流そのものは時代の流れで消滅してしまったが、後に陰流を源流とする流派は我が国の剣術を大きくリードしていくことになる。
兵法三大源流の中で、後世において最も隆盛を極めたのは陰流の流れを汲む諸流派であった。

流れを汲んだ有名な流派でいうと、上泉伊勢守信綱(かみいずみいせのかみのぶつな)が『新陰流』を創始、柳生石舟斎宗厳の『柳生新陰流』がある。
卜伝や宗厳の孫にあたる柳生十兵衛の活躍は、剣豪小説や時代劇などでよく取り上げられている。。

他にも数多くの流派を陰流は生み出している。

まとめ

今回まとめていてわかったことは、流派=人生=生き方、であるということだ。
その剣術を磨くことは自分を知ることでもあり、自分を作っていく過程であるように思われる。
武道も、その技を磨くことが大事なのではなく、その修行を通して人間完成を目指すものと言われている。
今の時代こうして自分を見つめる機会がないので、武道をしてみるというのは非常に良いことに思う。

僕も殺陣は演技でありながらも、こうした武道、武術的な側面を持ちつつ殺陣をしていきたいと思っている。常に人間的な成長を求め生活していきたい。
殺陣も同じく『殺陣道』として、殺陣が単なる技術ではなく、殺陣を通して人間完成を目指す方法の一つになれば良いと思う。

今回は『剣豪の流派 宝島社』を参考とさせて頂きました。ありがとうございました。

五代新一

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