loader image

武士道を読む

歴史コラム

前回のコラムでは、「葉隠」の内容から、武士道とはどのようなものだったかをみていきました。「葉隠」の内容は基本的に「死」が関わる項目が多く、江戸時代に生きていた武士がどのような考えを持っていたかを知る事が出来ました。

今回は新渡戸稲造の書いた「武士道」の内容を見ていきたいと思います。

この武士道が書かれたのは明治時代になってからで、職業としての武士・侍がいなくなった時に書かれたものですが、武士道に関してどのような事が書いてあったのでしょうか。

 

目次

1.新渡戸稲造が武士道を書いた理由

2.武士道とはなにか
2-1.武士道の伝え方
2-2.武士道の起源
2-3.武士道と義
2-4.武士道と勇
2-5.武士道と仁
2-6.武士道と礼
2-7.武士道と誠

3.武士道から何を学ぶか

まとめ

1.新渡戸稲造が武士道を書いた理由

前々回のコラムでも少し説明しましたが、この「武士道」は全編英語で書かれた書物です。日本国内向けではなく、国外の方に日本の文化や考え方を知ってもらうために書かれた本になります。そのきっかけから見ていきましょう。

新渡戸稲造はベルギーの法学者、ラヴレーの家で数日過ごす事がありました。その間に宗教の話題になった時に「あなたがたの学校では宗教教育というものがない、とおっしゃるのですか」と尋ねられ、「ありません」と答えるととても驚いたそうです。

外国では道徳的教育は宗教を通して学校で学びますが、日本はそうではありませんでした。

新渡戸稲造も考えてみると道徳を学んだのは学校では無く、武士道であったことに思い当たったそうです。

日本の道徳観を伝えるためには「封建制」と「武士道」を知ってもらわないと理解しがたい為、この「武士道」を読んでもらい理解してもらおうとしたそうです。

2.武士道とはなにか

新渡戸稲造は「武士道は、日本の象徴である桜花にまさるとも劣らない、日本の土壌に固有の華である。」と言っており、また「私達の心の中にあって、力と美を兼ね備えた生きた対象である。形は無いが道徳的雰囲気の薫りを放ち、今も私達を引き付ける存在である」と言っています。時代が変わってしまった現在でも土地に根付いている文化であるという事ですね。

文字だけの意味を考えてみると「武士」に限定されたものだと思ってしまいますが、それを否定しています。

武士が守るべきものとして要求され、教育を受ける道徳的徳目の作法であり、戦士たる高貴な人の、本来の職分のみならず、日常生活における規範をもそれは意味しているそうです。

 

2-1.武士道の伝え方

武士道の精神が現在まで残っているのは、しっかりとした書物などがあるからではなく、

その伝える方法にポイントがあることを「武士道」では書かれています。

「それは成文法ではない。せいぜい口伝によるか、著名な武士や家臣の筆になるいくつかの格言によって成り立っている。」と伝え方について記述されており、時には語られず、書かれることも無い作法であるから、実際の行動にあたってはますます強力な拘束力をもっていて、その為武士道は人々の心に刻み込まれた掟のようなものになったのではないでしょうか。

2-2.武士道の起源

武士道は「武士」という存在が生まれてから、「封建制」という社会が自然と生み出したもので、「ここに武士道の源あり」ということは出来ないと書かれています。一人の侍が決めたものではなく、何百年という長い時間をかけ完成されていった武士の産物なのではないでしょうか。

武士道の内容的には仏教・神道・孔子・孟子の教えが源となっているようで、禁欲的な平静さ・死への親近感・君主に対する忠誠等様々な方面の教えから武士道は成り立っているのです。

次の項目からは武士道を通して日本人の性質の説明も含み見ていきたいとおもいます。

 

2-3.武士道と義

この「義」という教えは侍の規範の中で最も厳しく大切なものとされています。

現在の私達は「義」という言葉を見ると「義理」という言葉が浮かんでくると思いますが、「義」はどのような教えなのでしょうか。

「義」とは「自分で決断すること」と言われていたり、「武士は無愛想であっても義節さえあればいい」といわれていたり、孟子は「狭い道」と言っています。「義」とは道理を通し自分で決断する心であり、人間が進むべき真っ直ぐで狭い道と武士道では定義されています。

ちなみに、私達でも使う「義理」という言葉に対して新渡戸稲造はこう評価しています。

「義から派生したはずの義理は世論が期待する漠然とした義務感になりがった。本来は、尊い正義の道理である」
ここからも「義」という教えは「自分で決断をし、曲がったことをしない」という事がよみとれますね。

 

2-4.武士道と勇

先程の「義」によって行動することを「勇」としています。私達でもわかりやすい言葉でいうと「勇気」になります。
孔子は「義を見てさぜるは勇なきなり」といっており、義を感じたのならば行動にしないとそれは勇が無いのと同じであり、義を感じたのなら行動におこすべきといっています。

「義」と「勇」は2つで一つになっているもののようです。

この「勇」はためらわずに行動する事だけでは無いと武士道では書いてあります。
「命を顧みないのは武士の職分として珍しいものでは無いが、それだけでは盗賊も血気盛んな勇を持っている。侍は、その場を退くことによって忠節になる事もあれば、その場で死ぬ事で忠節になる事もある。死ぬべき時に死に、生きるべき時には生きるのだ」と水戸義公の言葉を引用しています。

「勇」とはただ単に、死に急ぐのではなく常に落ち着き、余裕をもち状況を判断し行動することと武士道ではいっています。

2-5.武士道と仁

「仁」とは一言でまとめると「人の上に立つための徳」のことです。

愛情や寛容、他者への同情は至高の徳として認められていたそうです。孔子や孟子も「民を治める者が持たねばならぬ必要条件の最高は仁にあり」と説いていました。

日本は長い間封建制でしたので独裁政治に陥りやすい状況でしたが、この「仁」の教えがあったからこそ、成立していたのではないでしょうか。

「仁」に傾倒しすぎてはならないともされており、伊達政宗は「義に過ぐれば固くなる。仁に過ぐれば弱くなる」といっていたそうです。

この「仁」の教えから生まれたのが「武士の情け」という言葉なのではないでしょうか。

武士は詩歌を詠む事を推奨されていました。それは優しい感情を内面に蓄えるためであり、侍は苦しんでいる人やか弱い物にたいしての「仁」を忘れずにしていたそうです。

他人の事を思いやることは今も昔も大切にされていたのですね。

2-6.武士道と礼

「礼」は現在の私達からでも想像できるように「礼儀」の事を指してします。「他人の喜怒哀楽に共感し、優美な感受性として表れるもの」とされており、「他人に対する思いやりの表現」と言われています。

外国の方から見ると日本の茶道などは、儀式と考えてしまうそうですが、本質はそうではなく、礼儀作法はある一定の結果を達成するための、もっとも適切な方法を長い年月にわたって実験してきたことの結果であり、無駄のない、奥ゆかしいものであるそうです。

礼儀作法の優れた小笠原流は「あらゆる礼法の目的は精神を陶冶することである。心静かに座っているときは、凶悪な暴漢とても手出しをするのを控える、というが、そこまで心を錬磨することである」といっています。

この礼も他者への思いやりが重要になっており、形だけではなく心も大切になっていきます。

「武士道」内で贈り物の話があります。

アメリカ人は贈り物を渡すときに、「この商品は素晴らしいです。素晴らしいものでなければあなたに失礼ですから。」と贈り物の事を述べます。

日本人は「あなたは立派な方です。どんな贈り物もあなたにはふさわしくありません。私が送る物は私の感謝の気持ちとして受け取っていただけないでしょうか」と贈り物をする気持ちの事を述べています。

どちらも本質は同じですが、日本人は「武士道」の教えから相手を立てる手段が身に染みた結果なのではないのかなとおもいます。

 

2-7.武士道と誠

「誠」とは文字通り「嘘をつかず、ごまかさないこと」の事をいいます。

この「誠」がなくては「礼」が道化芝居か見世物の類まで落ちてしまい、伊達政宗は「度を超えた礼は、もはやまやかしである」といっています。

武士は社会的身分が商人や農民よりも高かった為、より高い「誠」の水準を求められていました。

なので「武士の一言」という言葉は断言した一言が真実であることを保証するものでした。

実際に武士の言葉は信用されていたので、約束に証文が使用されることはまずなく、証文自体武士の恥とされていました。

また武士は「名誉」を大切にしていたため「二言」つまりは二枚舌・嘘をついたために自分の命をもって償った武士は沢山いたそうです。

 

3.武士道から何を学ぶか

新渡戸稲造の「武士道」ではテーマは日本人の道徳感や考え方にあります。開国してからの日本の進化は「武士道」にあると新渡戸稲造は最後の項目で言っています。

「日本に怒涛のように押し寄せてきた西洋文明は、わが国古来の教育の痕跡を消し去ってしまったのであろうか。外からの影響に対していともたやすく敗退するものならば、それは極めて貧弱な魂といわねばならない」

この言葉を見ると、武士がいなくなり刀を捨てた日本は変わってしまったかのように感じますが、続けてこのように言ってます。

「武士道は、1つの無意識的な、抗う事のできない力として、日本国民およびその一人ひとりをうごかしてきた。武士道は日本の活動精神、推進力であったし、また現に今もそうである。」

この言葉から明治維新の事を考えてみると武士道の影響力は明らかで、明治維新が国外から評価されているのは武士が国の為を思い革命を起こし、自らの役職を廃止したという、「他人と自国を思って」行われた革命だからではないでしょうか。

新渡戸稲造も武士道は形のうえでは滅んでも、人生を豊かにする思想として残り続ける。と言っています。

自分への厳しさ、損得勘定を求めない哲学は現在の私達の社会にも必要な考えの1つなのではないでしょうか。

 

まとめ

葉隠と武士道を見ていきました。

武士道では武士の考え方、大切にしている事をピックアップして紹介いたしました。武士は自分自身を律して、周りからの目を意識し、常に武士としていられるよう心構えをしていたようですね。

その為、「余裕」が常にあり、何事にも動じない強い心を持つと同時に他者への思いやりの心を忘れぬよう過ごせたのではないでしょうか。

武士だけには限らず、日本人特有の国民性や他人を立てる姿勢はこの「武士道」が武士のみでは無く、日本人全員の心に根付いているのではないのでしょうか。

葉隠と武士道を読んでみると共通している部分が多く、武士道の内容をしってから葉隠を読むとより理解しやすいかもしれません。

他人をおもいやる心や他者を立てるという日本独特の文化は紛れもなく「武士道」が根底にあると思います。

一度武士道に触れてみて、自分の中の武士道をみつけみてはいかがでしょうか。

タイトルとURLをコピーしました