名刀伝説!化け物退治や怪談にまつわる名刀6選!

刀は、歴史の中で伝えられてきた、時代をつかさどる歴史的財産です。
名刀と呼ばれる刀はそれがより深く、また名刀と呼ばれた経緯があります。それは、優れた刀工の下で打たれた質の高い刀というだけではなく、渡った人によって引き起こされた伝説を持つ刀もあります。

今回は、そんな中でもとりわけ目を引く、化け物退治や摩訶不思議な怪談に登場する刀を六振り紹介します!

目次

1.童子切安綱
2.鬼切
3.蜘蛛切
4.にっかり青江
5.村正
6.波泳ぎ兼光

1.童子(どうじ)切安(ぎりやす)(つな)

まず最初に紹介するのが、童子切安綱です。
なんとも恐ろしい異名を持つこの刀ですが、子供を斬ったというのではなく、鬼の頭目・酒呑(しゅてん)童子(どうじ)を打ったという伝説を持つ刀です。

この刀は日本最古の刀工と言われる大原安綱の作で、刃渡り(はわたり)(刃の長さ)80㎝の剛剣。
江戸時代の城勤めの武士の刀は刃渡り69~70.5㎝なので、それより遥かに長い刀です。現存しており、国宝の一振りです。

時は平安時代中期、一条天皇(在位986~1011)の御代。洛中(らくちゅう)で美しい娘を狙う人さらいが現れる。陰陽師・安倍(あべの)(せい)(めい)に占ってもらったところ、大江山に住む鬼・酒吞童子の仕業と分かる。帝は武士団の長・源頼光(みなもとのよりみつ)に討伐を命じる。
そこで頼光は、渡辺(わたなべ)(のつな)坂田(さかたの)金時(きんとき)(たいらの)定道(さだみち)、平(すえ)(たけ)の四天王、さらに藤原(ふじわら)(やす)(まさ)とその一族郎党を引き連れて大江山に向かった。

頼光一行は、山伏を装い酒吞童子の屋敷に潜入。
酒吞童子に、鬼に猛毒の神便(じんべん)()毒酒(どくしゅ)を勧めて酔わせることに成功。眠っているうちに鉄鎖を巻き付けて動きを封じ、頼光が安綱の太刀で見事酒吞童子の首を打ち落とした。

頼光は酒吞童子を討ち果たして英雄となり、それとともに安綱の太刀も伝説となりました。
それ以降足利幕府を始め様々な天下人に重宝として渡りますが、この刀、切れ味に関する伝説もあります。
江戸時代、刀の試し切りは、処刑された罪人の亡骸を使って行われました。(恐ろしい…)
安綱を試し切りしたところ、実に6体を重ねて断ち、さらには下の土壇にまで刃が達したそうです。


2.(おに)(きり)

「平家物語」の別冊「剣巻(つるぎのまき)」には、もうひとつの鬼退治伝説があります。
この鬼退治の主人公は渡辺(わたなべ)(のつな)。酒呑童子討伐にも同行していた四天王の一人であります。

源頼光は、綱に一条大宮へ使者を頼み、それの戻りが深夜になれば危険だろうと、一振りの刀と馬を貸します。この刀は「(ひげ)(きり)」という太刀で、刃渡り81㎝の宝剣でした。

使者を果たし帰っている途中、綱は一条堀川の戻橋で色白でもの寂しいたたずまいの美しい女性に呼び止められる。
夜が更けて怖いので用事のある五条まで送ってほしいと頼まれた綱は承諾し、馬に女性を乗せて走る。
しかしこの女性の正体は茨木(いばらき)童子(どうじ)という鬼で、昔恋の嫉妬に狂った公家の娘が鬼となり、恋人を殺すだけでなく、夜ごと洛中の人々をさらっていたのでした。

綱の後ろで鬼に姿を変えた女は、綱の(まげ)の結び目をつかんで空に駆け上りました。
綱はこの時、少しも騒がずに刀を抜き放ち、鬼の手を切断。
そのまま落ち、北野天満宮の廻廊に落下して何事もなかったとのことです。なんてたくましく強いんだ!

このことから髭切は鬼切と呼ばれるに至ったのでした。
そもそも髭切の所有者は、源頼光の父・満仲でした。満仲が帝より守護を命じられた際に良い刀が必要だと思い鍛冶屋が集められましたが、全然納得いく刀が生まれない。
そこで遠い九州の地から鍛冶屋を呼び出しますがその鍛冶屋も失敗を繰り返します。

追い詰められた鍛冶屋は、八幡宮に良い刀が打てるように祈願します。
それから7日目、鍛冶屋は夢の中で「60日の間鉄を鍛えて刀を作れ。最上の剣を2つ与える。」と言われました。

言われた通りいい鉄を選んで刀を作ると、最高の刀が二振り完成したのです。
この刀で重罪人に対し試し切りをしたところ、一つは首を髭もろとも斬り落とし、もう一つは膝まで斬り落としました。このことから二振りの刀は「髭切」、「(ひざ)(まる)」と呼ばれたのでした。

3.蜘蛛(くも)(ぎり)

髭切と一体に作られたもう一つの剣、「(ひざ)(まる)」にも化け物退治の伝説が「平家物語」剣巻にて書かれています。
渡辺綱が茨木童子を斬ったのと同年、頼光は原因不明の病に冒されます。
四天王は看病を続けますが、その様子は凄まじく、のたうち回るほどの苦しみが30日続いたそうです。

ある日、四天王が仮眠を取っていると、夜更けに寝室に一人残された頼光のもとへ、身長210㎝の法師が忍び寄り、縄で頼光を絞め殺そうとしました。
跳ね起きた頼光は、枕元に立てていた膝丸を抜き一閃。
駆け付けた四天王が室内を調べてみると、血が点々とこぼれている。外にまで続いた血をたどったところ、北野神社の塚にたどり着く。塚を堀ったところ地中に潜んでいたのは120㎝もの山蜘蛛がいた。
この山蜘蛛が頼光を呪いで病に冒させ、さらに法師に化けて忍んできたのでした。頼光はこの山蜘蛛を鉄串に刺して河原に晒させます。

このことから膝丸は名前を「蜘蛛切」と呼ばれるようになったのです。
この後、「鬼切」「蜘蛛切」の二振りの刀は、源家の宝剣として名前を変えながら受け継がれ、蜘蛛切はあの源義経(みなもとのよしつね)の佩刀となり、壇之浦にて平家を滅ぼすことになるのです。

4.にっかり青江(あおえ)

続いて紹介するのが、幽霊に一太刀浴びせたという刀です。
それが備中青江派作の大脇差、通称「にっかり青江」。

備中国で栄えた青江派の歴史は古く、平安時代末期の保安年間(1120~24)に()青江派が勃興してから、南北朝時代の(ちゅう)青江派、その後も(すえ)青江派として存続しました。
この幽霊斬りの一振りがどの派に属した刀工の作なのかはわからないようですが、刃渡りは75㎝から、時代が進むにつれ摺り上げられて短くされ、59.7㎝の大脇差しとなる。しかしそれでも、江戸時代には値がつけられない極上品だと鑑定されています。

歴代所有者には柴田勝家や豊臣秀吉などの武将が名を連ねますが、幽霊を斬ったとされるのは勝家の前に所有していた近江国の武士です。
夜道で「にっかり」と微笑む妖艶な女の幽霊に出会い、武士はとっさにその幽霊の首を抜き打ちに斬って飛ばしたという。なぜこの幽霊が武士に微笑みかけてきたのかは定かではない。

それ以降、幽霊を斬った恐ろしい刀にも関わらず名の知られた武将達が求めてやまなかった。

5.(むら)(まさ)

妖刀の代名詞として知られる村正。室町時代末期から戦国時代にかけて(おう)(えい)年間(1394~1428)に伊勢国で活躍した千五(せんご)村正は刀と短刀を、一門の正重(まさしげ)(えい)(きょう)年間(1429~41)短刀を主に手がけました。
村正の作が妖刀と呼ばれたのは、徳川家康とその一族を代々にわたって災渦をもたらしたからと言われているからです。

家康の祖父・松平(きよ)(やす)は合戦場にて、父・(ひろ)(ただ)は城中で乱心した家臣に襲われ死を遂げ、そして家康の嫡男の信康は織田信長によって腹を切らせられたその介錯に使われた刀がことごとく村正の作であったのです。
家康自身も、少年時代に村正の短刀で手を切り、関ヶ原の戦い(1600)の勝利後に村正の槍でまたもや手を切って激怒したそうです。
家康が天下を取ると、大名達は村正を持つのをやめ、所有している人はバレないようにしていたといいます。

幕末を迎えると、倒幕を掲げる勤王の志士の間で徳川家をたたる村正が大流行しました。志士達はこぞって村正を求め、大金をかけてでも手に入れようとしました。
村正は、生前、南朝の後醍醐天皇を信仰して作刀に励んだ勤王の鍛冶だったらしく、徳川家にとっては妖刀でも、天皇の権威を仰ぐ人々にとっては勤王のシンボルのような刀だったのかもしれません。

6.(なみ)(およ)(かね)(みつ)

最期に紹介するのが、とんでもない切れ味だったという波泳ぎ兼光。

刀剣の愛好家として知られた武将・上杉謙信のもとには、備前(びぜん)長船(おさふね)一門の作刀も多く集まっていました。身長180㎝あったといわれる謙信は長尺の刀を好み、現存する謙信所有の刀は刃渡り90㎝前後ととても長い。
そんな謙信の愛蔵品に、二代目長船兼光作の太刀がありました。
鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した初代長船の後を継ぎ、動乱の世に合わせて豪壮な太刀を作った二代目の刀は後世に謙信だけでなく数々の戦国武将に好まれました。

上杉家に伝来した一振りの兼光の伝説は、斬られた者が川に飛び込んで逃げ、しばらく泳いだ後に首が落ちたというものです。これは誰が振るったことによる出来事なのかは伝わっていませんが、斬られたことを気付かせないとは…。
しかし別の説に、二代目兼光は刀身彫刻を得意としており、刀身に彫られた竜の彫刻が波間を泳いでいくように見えることから波泳ぎの異名がついたともいわれています。このエピソードの方が遥かに現実的…。


いかがだったでしょうか。名刀伝説、面白いですね。
もちろんこれらの伝説が本当にあったかどうかはわかりません。
鬼や山蜘蛛の存在はとても現実には考えられませんし、これらの伝説は当時の人々の不健康な生活習慣からの幻覚症状であったという説もありますし…。

今回紹介した六振りの刀(村正は一振りに限りませんが)はすべて伝承として現存しています。童子切は国立博物館にありますし、他の刀も刀剣乱舞のブームにも合わせて見られる機会も多くなっています。

【参考文献】

名刀 その由来と伝説      牧秀彦

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