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江戸時代の治安維持 捕物の仕事

歴史コラム

前回のコラムで取り上げた時代劇のヒーローは町奉行や火付盗賊改方で働く武士を題材にしたものでした。

時代劇の中ではどのような仕事をしているか何となくは分かりますが史実ではどのような事をしていたのでしょうか。

今回は町奉行に絞り、どのような役職が町の治安を維持していたかを見ていきたいと思います。

目次

1.町奉行の仕事内容

1-1.町奉行の一日

1-2.捕物の花形 白洲

1-3.裁判の手順

2.与力と同心と岡っ引き

2-1.与力の仕事内容

2-2.同心の仕事内容

2-3.岡っ引きの仕事内容

2-4.与力 同心 岡っ引きの収入

3.捕物で使われる武器

まとめ

1.町奉行の仕事内容

町奉行と言われると以前のコラムで紹介した「大岡越前」や「遠山の金さん」等の時代劇が想像されると思いますが、実際にはどのような仕事をしていたのでしょうか。

時代劇だけでは知る事の出来ない仕事も沢山しており、町奉行に就いた侍の寿命が短命の人物が多かったので激務だったと言われています。

それではさっそく見ていきたいと思います。

1-1.町奉行の一日

どれほど激務だったかを分かりやすく説明するため、現在の役職に置き換えると町奉行は「東京都知事」「東京地方裁判所裁判長」「消防庁長官」を兼任している状態でした。これだけでも激務だった事が分かります。実際に時代劇のように白洲でお裁きをするのは仕事の一部に過ぎなかったようです。

町奉行は北と南に2つあり担当の人物が2人いました。ひと月交代で奉行所を開け訴訟を受け付けていました。

当番の月は、起床したら書類に目を通しながら朝食をとり身支度をし、月に数回は評定所に行き町奉行の権限では裁けないものを老中や大目付などと協議をしました。

評定所に行かない日は10時までに江戸城へ行き重罪の犯罪者の処罰の許可を老中や将軍に書類提出をしていました。

14時になると奉行所に行き訴訟を受け付け、日暮れと共に閉門します。閉門後は捕まえた罪人を尋問し真偽を問いただしました。

また江戸で火事が起きた場合は出馬し陣頭指揮をとっていたそうです。

1-2.捕物の花形 白洲

捕物といったら「白洲」と言われるように、捕物の作品に欠かせないのが「白洲」での捌きです。

この「白洲」とは奉行所の中にあります。罪人が座る庭には白い砂利が敷いてありその為「白洲」と呼ばれていました。

町奉行が裁けるのはいわゆる民事事件や刑事事件のみで、寺社での敷地内・僧侶・神主の事件は寺社奉行、大名は老中、武士に関しては大目付が裁きを行いました。

1-3.裁判の手順

捕らえられた罪人は、同心によって取り調べを受けこの調書をもとに町奉行からの尋問を受け、牢屋に入れられます。

この時代の牢屋は今とは少し違い、裁判まで入る所であり現在で言う所の拘置所に近い存在でした。

入牢中に取り調べが行われましたが、刑の確定には本人の自白が必要だった為自白しない者には拷問が行われました。しかし、拷問を行う者は取り調べが下手とされる為中々行われなかったそうです。

自白を受けると刑を確定し、白洲にて判決を伝えます。判決が言い渡されると即時実行され、裁判は終了となります。

2.与力と同心と岡っ引き

捕物の作品を観ていると必ず出て来るのが「与力」「同心」「岡っ引き」の3種類の役職です。

この3つは似ているようですべて違う役職になります。

ここでは簡単にどのような事をしていたかを見ていきたいと思います。

2-1.与力の仕事内容

与力とは各奉行等の配下で現場の指揮をとる役職の事をいいます。また寄騎とも書き騎馬で勤務する武士の事を指した為「○人」とは数えず「○騎」と数えたそうです。

捕物に登場する町奉行与力は経験が必要とする特殊な仕事だった為、子どもが見習いとして仕事を学び経験を積んでいく世襲制度をとっていたそうです。

与力は捕物だけが仕事では無く奉行の秘書なような事をする役職もあれば町奉行所の会計を管理する仕事、牢屋を見回る仕事など様々な仕事がありました。

2-2.同心の仕事内容

同心は与力の命令によって現場で実務を担当する武士でした。

同心の中でも様々な仕事があり、時代劇に出て来る同心は定廻、臨時廻、隠密廻と呼ばれる同心で事件の調査や捕物を行っていました。

時代劇で同心の事を「八丁堀」と呼ばれているのをみる事があるかと思いますが、これは町奉行同心の住居が八丁堀にあったことから来ています。

同心も与力同様の理由から事実上世襲制でした。

2-3.岡っ引きの仕事内容

与力とも同心とも違う「岡っ引き」と呼ばれる人物が時代劇に出て来る事があります。有名どころだと「銭形平次」がそれに当たりますね。

この岡っ引きは与力達とは違い幕府に認められた公式な存在ではありませんでした。

岡っ引きは同心個人に雇われた探偵のようなもので、元罪人の場合があったりもしました。

罪人でなければわからないことも多く使わざるを得ない状況もあったそうです。

時代物だとよく出て来る単語「目明し」「岡っ引き」等は本人たちは言うことは無く、将軍の御用を務めるという意味で「御用聞き」と言っていたそうです。

また非公式な存在の為、逮捕に参加することは無く、逮捕の様子を野次馬の陰から見ていたそうです。

2-4.与力 同心 岡っ引きの収入

与力や同心は奉行所に所属しているとはいえ、高い給料ではありませんでした。

その為内職をしていたこともあるそうですが、それ以外にも収入がありました。

小さなもめ事や自分の家から罪人を出したくない場合心付けをして事件をもみ消してもらう事が多々あったそうです。

また日ごろから何かあった場合有利に進めてもらう為に日ごろから心付けをしている場合もあったそうです。

また岡っ引きは他に仕事をしなくてならない程給料は安かったそうです。その為、町の見回りをして心付けをもらったり、恐喝まがいの事をしていた為幾度となく岡っ引きの禁止が出されては解除される事が繰り返されていたそうです。

3.捕物で使われる武器

捕物の目玉としては「大立廻り」が欠かせませんね。普通の戦いでは無く、相手を生け捕りにしなくてはいけない為、刀を使うことは基本的にはありませんでした。峰打ちも活躍できるのは時代劇の中だけだったようで実際にはあまり使われていませんでした。

その為捕物で使われる得物は少々特殊なものが多かったそうです。

火縄銃等の飛び道具を持った犯人には着物を棒の先に付けたものや、畳を盾にして応戦したり、はしごを数本使い相手をねじ伏せたり、街中にあるものを臨機応変に使用していたそうです。

捕物の得物としてイメージされる十手は実際に使用されており、与力は指示を出す為十手は持っていたが、実用することが無かった為9寸~1尺程度の煌びやかなものが多く、実働の同心は1.5尺~2尺の実用向けの十手を使用していたそうです。

現在でも警察署等で見る事の出来る刺股は当時もよく使用されていたそうです。

まとめ

時代物で人気のある捕物ですが、題材にされているのは町奉行での仕事の一部にしかすぎず、本当に様々な仕事をしていましたね。

また当時の罰則に現金での罰則は無く家の門を30日間封鎖する罰や体に入れ墨を入れられ犯罪者と誰が見てもわかってしまうようにしたりと、プライドを傷つける罰が多かったのも生活や価値観の違いが見受けられますね。

また捕物の時の得物はコラムで紹介したもの以外ですと熊手や袖がらみ、突棒さらには戸板や大八車なども臨機応変に使用していたようです。逮捕した後は縄抜けが出来ないように工夫された縛り方があったそうです。

十手に関しては訓練をした者だと相手の刀を取り上げる事が出来る程強い武器になったそうです。

捕物を題材に刀以外の得物で立ち廻りをしてみるのも面白いかもしれませんね。

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