近年スーパー歌舞伎で大人気漫画「ワンピース」が上演され話題になりました。
スーパー歌舞伎とは古典芸能である歌舞伎とは違う演出をする現代風歌舞伎の事をいいます。この作品を観て歌舞伎に興味を持った方もいらっしゃるかと思いますが、中々古典芸能を初めて見るのは労力のいる事かと思います。
そもそも殺陣の始まりは歌舞伎の立廻りから発展したものなので、殺陣を勉強している方は一度歌舞伎をみた方が新しい考え方や発見があるかと思います。
今回は歌舞伎の歴史と表現について紹介して行きたいと思います。
目次
歌舞伎の歴史
1-1.出雲阿国と歌舞伎
1-2.女歌舞伎から野郎歌舞伎への遍歴
1-3.猿若町と浅草と歌舞伎
2.歌舞伎の表現
2-1.歌舞伎のジャンルについて 時代物・世話物・所作事
2-2.歌舞伎の表現
まとめ
1.歌舞伎の歴史
そもそも歌舞伎とは日本固有の演劇で、1965年に重要無形文化財に指定されています。
歌舞伎の語源は、「傾く(かたむく)」の古語「傾く(かぶく)」を名詞化したものとされています。派手な衣装や普通な人とは違う事を好み常軌を逸脱した人の事を「かぶき者」と呼んでいました。
江戸時代に京で流行した、派手で風変りな「かぶき踊り」が現在の歌舞伎となっているとされています。現在にも残る「歌舞伎」になるにはどのような歴史を辿っていったのでしょうか。さっそくみていきたいと思います。
1-1.出雲阿国と歌舞伎
歌舞伎の創始者と言われているのが「出雲阿国(いずものおくに)」という女性芸能者です。
現在の歌舞伎は男性の演者のみですが、創始者は女性だったのです。
出雲阿国は「ややこ踊り」と言われる踊りを元に「かぶき踊り」を創始しました。
お国は奇抜な衣装を身に着け、男装をし「かぶき踊り」をしていたことが「当代記(とうだいき)」という資料に残っています。
この出雲阿国が創始した「かぶき踊り」が現在の歌舞伎のはじまりとされています。
現在の歌舞伎は男性の役者のみの出演ですが、歌舞伎の元となった「かぶき踊り」はその真逆で女性が男装をし、奇抜な恰好で踊りをしていたのは意外でしたね。
1-2.女歌舞伎から野郎歌舞伎への遍歴
出雲阿国が創始した「かぶき踊り」はどんどん人気が出ていき、「かぶき踊り」をする遊女や女性芸人の一座が沢山出てきました。その「かぶき踊り」は「女歌舞伎」と言われ、京だけではなく江戸にも流行がやってきました。
10年も経たない内に全国に広まり、遊女が踊る「かぶき踊り」は「遊女歌舞伎」と言われとても大人な内容の踊りだったそうです。
物凄い勢いで人気が出た「女歌舞伎」ですが1629年に風紀を乱すという理由で政府によって禁止にされてしまい、世の中から消えていきました。
その後は成人前の少年が演じる「若衆歌舞伎(わかしゅうかぶき)」が人気になりました。しかし、これも風紀を乱すという理由で1652年に禁止されてしまいます。
その代わりに成人男性が演じる「野郎歌舞伎(やろうかぶき)」が主流になりました。
女性が歌舞伎をする事が政府に禁止されている為、この時から女性役を演じる「女方(おんながた)」と言われる役者が出てきました。
1-3.猿若町と浅草と歌舞伎
こうして現在の歌舞伎の形に近づいてきたのですが、ずっと順調というわけではありませんでした。
1841年に老中「水野忠邦」は天保の改革を行いました。
この天保の改革は平和な江戸時代の緩んだ風紀を引き締める為、庶民の娯楽であった歌舞伎も取り締まりの対象となってしまいました。
一時、歌舞伎は廃止まで追い込まれそうになりましたが、最終的には芝居小屋を現在の浅草へ移転する事で落ち着きました。
この芝居小屋が集まった町が猿若町と呼ばれ、現在の浅草となっています。
猿若町に移転してすぐは猿若町の立地の悪さや贅沢や娯楽が禁止されたことから歌舞伎からお客さんが離れていきますが、水野忠邦が失脚すると猿若町も活気が出るようになりまました。
このような遍歴を経て現在の歌舞伎が出来あがっていったのです。浅草は今でも国内外問わず人気のある観光地であり、踊りやお祭り、演劇用品のお店が多く集まっているのはこのような事があったからなのです。
2.歌舞伎の表現
歌舞伎の歴史については前の項目でみていきました。ここからは歌舞伎の内容を詳しくみていきたいと思います。
派手で煌びやかな歌舞伎の世界ですが、話の内容や衣装、音楽、表現方法すべての演出が相まって完成されています。ここでは歌舞伎を成り立たせている演出や小道具を細かく見ていきたいと思います。
2-1.歌舞伎のジャンルについて 時代物・世話物・所作事
歌舞伎の演目は作品内容によって3つにジャンルを分ける事ができます。その3つは「時代物」「世話物」「所作物」になります。
「時代物」は江戸時代よりも古い時代の武士や公家の世界を描いた作品をさします。
忠臣蔵のように江戸時代に起こった事件を題材にした作品は当時はそれ以前の時代に置き換えられて書かれていました。
これは幕府が戦国時代後期以降の史実の劇化を禁止していたからです。
「世話物」は江戸時代の町人の生活に焦点を当てた作品で、当時の現代劇をさします。
特に身分の低い庶民の生活を描いたものは「生世話(きぜわ)」と呼ばれていました。
この世話物はしっかりと町人の生活に取材をしていたそうです。
「所作事」は舞踊の事をさしています。当初は女方の専門とされていましたが、後に立役も踊るようになりました。
2-2.歌舞伎の表現
歌舞伎の世界を作るのは脚本と役者のみではなく、舞台の小道具、メイク、衣装など様々なものが歌舞伎の世界を作っています。
衣装に関しては時代考証よりも見た目の分かりやすさを大切にしており、性格や性別が一目で分かるように誇張と様式化が進んでいます。衣装と同じように誇張と形式化が進んでいるのが「鬘(かつら)」で立役で約1000種類、女方で400種類と言われています。
また小道具も日常で使用される「本物」と舞台で効果的に魅せる為に作られた「拵え物(こしらえもの)」に分ける事が出来ます。
拵え物は誇張されているものが多く、「暫(しばらく)」という作品で登場する主人公の大太刀は2メートル近くあるそうです。
また歌舞伎の特徴的な表現としては「見得(みえ)」が想像しやすいと思います。
見得は感情の高まりを表現する為に、演技の途中で一瞬ポーズを作って静止する演技を指します。
カメラと違い、舞台ではズームアップなどが出来ない為、人物をクローズアップさせる効果があります。役者の動きだけではなく「ツケ」が打たれより効果的に印象的に魅せる工夫がされています。
まとめ
歌舞伎と言われると古臭く、観るのに抵抗がある人が多いと思います。
特に時代物は言葉使いが慣れないものが多く、難しく感じてしまいますが、世話物は今の私達でも観ていて話も分かりやすいのでお勧めです。
歌舞伎の世界は煌びやかなイメージがあると思いますが、その世界を作る為に衣装や小道具、表現方法様々な工夫が施されています。
今回は紹介しませんでしたが舞台装置も工夫されており、江戸時代の時点で縄を使って宙を舞う等現在のワイヤーを使ったような演出も存在しておりました。
温故知新という言葉があるように、古典芸能である歌舞伎を勉強すると新しい発見が沢山あるかもしれませんね。