目次
1.「たそがれ清兵衛」の作品情報
1-1.作品
1-2.「たそがれ清兵衛」のあらすじ
1-3.「たそがれ清兵衛」の原作者「藤沢周平」
1-4.「たそがれ清兵衛」の監督「山田洋次」
2.「たそがれ清兵衛」の見どころ
2-1. こだわり続けた“不自然さをなくす”
2-2.「たそがれ清兵衛」の殺陣
3.最後に
1.「たそがれ清兵衛」の作品情報
1-1.作品
山田洋次監督の初の本格時代劇であり、藤沢周平作品の始めての映画化。
脚本は、藤沢周平の3つの短編小説「たそがれ清兵衛」「祝いい人助八」「竹光始末」を一つの物語の構成し監督自ら執筆。
山形県庄内地方を中心に、長野県望月町、秋田県角館町などの日本の美しい風景とともに、幕末の下級武士と家族の姿を丁寧に描き、日本アカデミー賞をはじめ数々の映画賞を受賞しました。
山田監督はこのあとも「隠し剣鬼の爪」「武士の一分」を監督しましたが、この時代劇三部作はどれも日本映画史に残る傑作です。
1-2.「たそがれ清兵衛」のあらすじ
幕末の庄内、海坂藩。平侍の井口清兵衛(真田広之)は妻を亡くし、二人の娘と老母のために下城の太鼓が鳴ると家路を急ぐ毎日。同僚たちはそんな彼を“たそがれ清兵衛”と呼んでいた。
ある日、幼なじみの朋江(宮沢りえ)を酒乱の夫から救ったことから剣の腕が藩で噂になり、上意討ちの討手として選ばれてしまう。
人を斬ることなど断りたい清兵衛だったが藩命には逆らえず、朋江への想いを打ち明け,藩随一の一刀流の遣い手で謀反の切腹を不服とし家に立てこもる余吾善右衛門(田中泯)と対決する。
1-3.「たそがれ清兵衛」の原作者「藤沢周平」
藤沢周平は山形県出身の小説家で、時代小説の名作を数多く残しました。
「暗殺の年輪」で直木賞を受賞し、95年にはそれまでの活動が認められ紫綬褒章を受章しています。
これまで数々の作品がドラマ化、映画化されています。
藤沢周平の時代小説はどれも、英雄や豪傑ではなく、架空の藩である海坂藩(うなさかはん)で勤務する下級武士を主人公とした作品が多いです。
この下級武士達は、普段は貧しく、静かで控えめな暮らしを送っており、その心の機微や情景を繊細に描いています。その日常は現在のサラリーマンと変わりません。
しかし、日常が非日常に変わります。
主人公は皆剣の遣い手であり、その刀を抜かなければならない機会がやってきます。
静かで控えめな日常と、刀に手をかけなければならない非日常との差が見事で、味わい深い世界観になっています。
1-4.「たそがれ清兵衛」の監督「山田洋次」
山田洋次は、言わずと知れた日本映画界を代表する監督の一人です。
1961年に「二階の他人」で監督デビュー。1969年に「男はつらいよ」シリーズ開始。95年までに48作まで続きました。
多くの名作を残し、近年では、「男はつらいよ」以来20年ぶりの喜劇映画となる「家族はつらいよ」シリーズが大ヒットしました。
どの作品も“家族”を題材とした物語で、観る人に幸せとは何かを問いかけます。
私も時々思い出したように山田監督の作品を手に取りますが、観る度に温かい気持ちになり、人と人とのつながり、家族のつながりを大事にしなくちゃと感じさせられます。
2.「たそがれ清兵衛」の見どころ
2-1. こだわり続けた“不自然さをなくす”
山田監督が初めて本格時代劇を撮るにあたってこだわったのが、“不自然さをなくす”ことでした。
山田監督はこれまで60年もの間映画を作り続け、時代ごとの風景、人の姿、家族の姿をありのままに撮ってきました。
そしてその“ありのまま”を時代劇でも追い求めたのです。
清兵衛一家のくたびれた服装、頭を定期的に剃るお金もないだろうと髪が生えてきている月代(さかやき)。内職の虫かご作りの材料や作業、朝食の様子、城での勤務の様子、さらには部屋の明るさや朝夕の景色の微妙な変化まで、それまでの時代劇とは一線を画すリアリティです。
そして何といっても、役者達の演技です。
山田監督は他のどの作品においても、役者に自然な演技を求めます。
「たそがれ清兵衛」には真田広之、宮沢りえ、大杉連、丹波哲郎、小林稔侍といった、そうそうたる熟練俳優が顔を揃えていますが、私が特に目を見張ったのは、子役の演技です。
清兵衛の娘いと役の橋口恵莉奈さんはこの時5歳ですが、劇中でとても演技とは思えないほど自然に、幕末の幼女を演じています。
どうやって子供からこんな演技を引き出したのでしょうか。山田監督の演出が光ります。
さらに、登場人物は全員徹底して庄内弁を話します。全く違和感を感じないので、相当練習したのでしょう。
こうした、時代の細部までこだわったリアリティと役者の力で登場人物の機微を際立たせ、まるで幕末の時代を覗き見ているかのような気分を、この映画では味わうことが出来ます。
2-2.「たそがれ清兵衛」の殺陣
山田監督は殺陣においても、不自然さを取り払うことを追求しました。
1人で20人も30人も相手にしてあっという間に斬り倒したり、斬られる方も斬りに行けるところを行かず斬られるのを待っていたりといった、時代劇の枠に囲まれた「嘘」を徹底的に削ぎ落し、“本当の斬り合い”を表現したのです。
清兵衛は小太刀の遣い手、余吾は一刀流の遣い手という設定なので、その立ち回りも、しっかり道理にあった剣の形、剣術を踏まえて、殺陣師の久世浩や武家作法の研究者が綿密な指導を行いました。
そして、相手には刀が当たらないように斬り付ける通常の殺陣とは違い、この立ち回りでは、相手の居所に本当に斬り付け、本当にかわしているのです。
そしてこの立ち廻りを語る上で忘れてはならないのが、この映画で山田監督に起用され、俳優として初演技となった舞踏家の田中泯の存在です。
謀反人として切腹を命ぜられるも従わず家に立てこもる余吾善右衛門役を演じましたが、本当に凄い迫力です。異様な雰囲気を持つ佇まい、抑揚の少ないセリフ回しに加え、劇中では、逆光や部屋の薄暗さで余吾の顔がほとんど見えないという演出もあり、得体のしれない不気味な人物像が際立っています。
田中泯はこの映画で、舞踏家として、「死」そのものを表現したように感じられました。
この殺陣の撮影は、10日間にも及んだそうです。
完成した殺陣は、他に類を見ない圧倒的なリアリティで、“本当の斬り合い”に仕上がっています。
3.最後に
このコラムを書くにあたって、改めて映画を最初から見直しましたが、そこで改めてこの映画は登場人物それぞれの気持ち、人間模様が丁寧に撮られているなと思いました。
それは最後の斬り合いでも同じで、非日常の斬り合いであっても、それが一つの日常であり人間模様であるように見えてきます。
清兵衛は藩命を受け入れてから、また家族の元に戻るために覚悟をし、刀を研ぎます。そして次の日、朋江の手を借りて果し合いの身なりを整え、余吾邸へと侵入しますが、余吾は、「お主と少し話がしたい。かけてくれ。」と言い、自分の身の上話を始めます。その後やむを得ず二人は斬り合いに突入するのですが、
清兵衛には清兵衛の、余吾には余吾の想いがあり斬り合いをしなければならないというそれぞれの人間模様が殺陣のシーンでも見えてくるのです。
それはこのクライマックスの殺陣シーンになるまでに登場人物一人一人の存在を丁寧に描いてきた結果なのだと感じました。
山田洋次監督は、藤沢周平の世界観を見事に映像化したのです。
【参考文献】
藤沢周平の世界 著者:朝日新聞社