【刀剣秘話】日本人と三種の神器・草薙神剣との関わりに迫る!

日本刀は、紀元前4世紀頃の弥生時代に大陸から直刀が輸入され、平安時代には現在の反りのある日本刀の形状が完成。この頃日本刀は茎(なかご・刀の根の部分)が長くなり、片手から両手で扱うようになる。そしてその扱い方も大きく変化しました。と簡単にまとめた日本刀の誕生ですが、日本刀は時代につれ様々な武器が登場する中で日本人の主要な武器であり続けました。それは、日本人が刀を単なる武器としてだけではなく神秘的な魅力を感じ続けて来たからだと言われています。現在、PCゲームから登場した「刀剣乱舞」を中心に空前の刀剣ブームが起きています。刀剣乱舞は、実在の刀剣を男性キャラクターに擬人化し、歴史などが反映されていることが特徴の一つで、それをきっかけに再び刀剣が注目を集めています。なぜ日本人はここまで日本刀に魅力を感じて来たのでしょうか。その理由の一つとして、日本人にとって重要な存在である「三種の神器」の一つとして祀られてきた「草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)」が挙げられます。今回はその三種の神器、そして日本人と刀の関わりとして大きな意味を持つ草薙神剣を紹介します!

【目次】

1.  三種の神器
1-1.三種の神器とは
1-2.三種の神器のレプリカ
2. 草薙神剣
2-1.草薙神剣とは
2-2.英雄・ヤマトタケルと草薙神剣
2-3.草薙神剣盗難事件
2-4.熱田神宮の現在

1.三種の神器

1-1.三種の神器とは

三種の神器は、日本最古の歴史書である「古事記」に書かれる、天地の始まりの神々の時代から代々天皇家に伝わってきた、日本の象徴である天皇の存在を裏付けるという役割を持つ神物です。正当に皇位を継ぐ人にのみ受け渡されるもので、「継承の儀」と言う儀式を持って次の天皇に受け継がれます。令和元年の5月1日にもこの継承の儀が行われました。三種の神器とは「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」「八咫の鏡(やたのかがみ)」「草薙神剣」の三つです。

この三種の神器は、日本神話と深い関わりがあります。日本神話に登場する最高神のアマテラスオオミカミが持っていましたが、孫のニニギノミコトに地上の国の統治をするように命じ、三種の神器を与えました。以来三種の神器は歴代の天皇に大切に保管されてきました。

現在三種の神器は、八尺瓊勾玉が皇居の天皇の寝室の隣にある「剣璽の間(けんじのま)」に安置され、八咫の鏡は伊勢神宮に、草薙神剣が熱田神宮に祀られています。三種の神器はこれまで、神聖な存在として厳しい決まりに守られ、見た人はこの世に存在しないとされており、天皇でさえ見ることは許されません。これまでの歴史の中では見たという人もいますが、どんな姿をしているかも定かではありません。

話はそれますが、「三種の神器」という言葉は新時代の生活必需品のキャッチコピーとしても使われていて、1950年代後半は白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の三つが三種の神器と呼ばれ、2003年~2010年にはデジタルカメラ・DVDレコーダー・薄型テレビが「デジタル三種の神器」と呼ばれたそうです。

2-2.三種の神器のレプリカ

三種の神器の内、八咫の鏡と草薙神剣にはレプリカが存在します。それが、形代(かたしろ)です。三種の神器は祀られている場所から動かしてはならないために、天皇の即位には、八尺瓊勾玉の本物と、八咫の鏡の形代、草薙神剣の形代が継承の証として使われます。しかしレプリカとはいえ形代は、本物から神の力を分配されたものであり、本物と同じく大切に扱われてきました。天皇は三種の神器と寝食を共にする決まりがアマテラスから言い渡されていましたが、崇神天皇(紀元前148年~紀元前29年)の時代に、寝食を共にするのは恐れ多いという理由からか八咫の鏡と草薙神剣は移動されることとなり、代わりとして形代を作り、宮中に設置されることとなりました。

以来この形代をめぐって様々な事件や伝説が残っていますが、中でも有名なのが1185年の源氏と平家の戦いの中の壇ノ浦の戦いです。平家の血を引いていた安徳天皇の時代、源平合戦の中で平家は勢いを失い、三種の神器を持ち去って都を落ち延びます。そのためその後に即位した後鳥羽天皇は三種の神器なしで即位することとなりました。平家と共に敗走した安徳天皇は三種の神器を持ったまま入水しました。この時必死の捜索が行われ勾玉と鏡は見つかりましたが、草薙神剣(形代)は見つからずに失われてしまいました。その後1210年に伊勢神宮から献上された別の剣が草薙神剣の形代として宮中に設置されました。。

2.草薙神剣

2-1.草薙神剣とは

ここで、草薙神剣がどのようにして出て来たかを紹介しましょう。

日本神話の中で神々が住む天上界である高天原(たかまがはら)で悪さばかりをしていたアマテラスの弟であるスサノオノミコトはアマテラスにより高天原を追放されます。スサノオは追放されたのちに出雲(現在の島根県)に降り、そこでクシナダヒメという美しい娘と出会いますが、クシナダヒメは、八本の頭と八本の尻尾を持つ怪物の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の生贄にされそうになっていました。スサノオはクシナダヒメとの結婚を条件にヤマタノオロチの退治を請け負うと、ヤマタノオロチの前に八面の塀を立て、それぞれ八個の酒樽を置きました。そしてヤマタノオロチが八本の首で酒をたらふく呑んで酔って寝たところを持っていた神剣・天羽々斬(あめのはばきり)でヤマタノオロチを斬り刻み退治しました。そしてヤマタノオロチの尻尾を斬った時に天羽々斬が欠けます。不思議に思って尾を割いてみると、中から鋭い剣が出て来たのです。これが後の草薙神剣です。

草薙神剣は別名、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)とも言いますが、これはヤマタノオロチの上には常に雲がかかっていたことに由来しています。スサノオはこの剣をアマテラスに献上しました。スサノオはその後クシナダヒメと結婚して幸せに暮らしました。スサノオの子孫は、オオクニヌシノミコトが有名ですね。オオクニヌシノミコトは地上の国造りを行い、人々に農耕、漁業、殖産、医療を授けたとされ、出雲大社に祀られている神様です。スサノオは現在数々の神社に祀られており、様々なご利益がある人気の神様です。

2-2.英雄・ヤマトタケルと草薙神剣

その後八咫の鏡と天叢雲剣は、崇神天皇の時代に宮から離され、垂仁天皇(紀元前69年~西暦70年)の時代にヤマトヒメノミコトにより伊勢国に祀られました。これが伊勢神宮の始まりとされています。次の天皇の息子であるヤマトタケルノミコトは、ヤマト王権の勢力拡大のため、当時勢力のを延ばしていた現在の奈良県から九州南部の勢力を討伐し、関東・東北の勢力の討伐に向かいます。この時ヤマトタケルは伊勢神宮に寄り、叔母から天叢雲剣と火打石を授かります。戦いの中でヤマトタケルは草原で火攻めにあい絶体絶命のピンチに陥りましたが、天叢雲剣で草を薙ぎ払い、火打石で向い火をつけることによって難を逃れることが出来ました。このことから、天叢雲剣は草薙神剣と呼ばれるようになりました。

東征を終えたヤマトタケルは火上山(現在の名古屋市大高)ミヤズヒメと結婚し平穏な日々を過ごしていましたが、伊吹山に荒神がいると聞き征伐に出かけます。伊吹山の神ならすぐに征伐出来ると思ったヤマトタケルは、ミヤヅノヒメのもとに草薙神剣を置いたまま出かけます。これはミヤズノヒメを草薙神剣の霊力で守るためだったと言われていますが、伊吹山でヤマトタケルは苦戦し、ついには病気になってしまいました。傷を負いながら歩いていましたが、やがて力尽きてしまいました。このことから、草薙神剣は単なる武器ではなく、護身のための護符だったことが分かります。ミヤズヒメは現在の名古屋市熱田区に草薙剣を御神体として祀る熱田社を建て、ヤマトタケルとともに祀りました。これが現在も草薙神剣がある熱田神宮の始まりです。

2-3.草薙神剣盗難事件

これも草薙神剣を語る上では欠かせない話です。この話にはいくつもの説が存在するのですが、一番有名で神秘的な説を紹介します。

668年天智天皇の時代、道行(どうぎょう)という僧侶が草薙神剣を盗み出し、朝鮮半島の新羅(しらぎ)に向かって逃げました。すると剣はひとりでに飛んで熱田神宮に戻って行きました。道行は再び盗み出して船で新羅に向かうのですが、今度は途中で暴風雨に会って遭難しそうになり、祟りを恐れて剣を捨てようとしましたが、今度は剣が身体から離れず、捕らわれることになったようです。

その後、剣は熱田神宮とは別の場所に祀られていましたが、686年に天武天皇が病になった時に、これは剣を熱田神宮に戻さなかったことからの祟りだと考えられ、盗難事件から18年後に熱田神宮に再び安置されることになりました。草薙神剣が再び熱田神宮に戻ってこられたことを人々はこぞって喜び、この様子を今に伝えるお祭りが毎年5月4日に行われる笑酔人神事(えようどしんじ)です。このお祭りは、オホホ祭りとも呼ばれ、真っ暗闇の熱田神宮で神官達が、決して見てはならないと伝わる仮面を懐に隠し持ち、それを叩きながら爆笑し合うというお祭りです。なんともシュールな光景だそうです。一度見てみたいですね…。

2-4.熱田神宮の現在

熱田神宮にはこれまでに将軍、藩主、一般からも合わせて6000点もの文化財が寄進されており、1966年に宝物館が開かれました。宝物館では毎月入れ替えられながら選りすぐりの宝物を展示しています。その中でも、ご神体が草薙神剣であることから刀剣類の数が多く、国宝の短刀・来国俊(らいくにとし)や、重要文化財の太刀・国友など、名刀の宝庫と言われています。他にも重要文化財・愛知県文化財に指定されたものは合わせて177点にものぼるそうです。

いかがだったでしょうか。日本刀は、材料である玉鋼(たまはがね)自体にそれほどの価値はないものの、それが刀として打たれた途端天文学的な価値が付きます。日本人は、単なる武器では片付かない神秘的な力を刀に感じ続けてきました。それは、三種の神器に草薙神剣があり日本人が神代の時代から受け継いできたということが日本人の中で生き続けているのだと感じさせられます。今回三種の神器を調べてみて、日本神話を奥深さ、面白さに引き込まれていきました。日本神話の伝説は熱田神宮や伊勢神宮をはじめ日本各地に残っているので、いつか回ってみたいなと思います。そういえば、今回紹介した草薙神剣や天羽々斬の神剣は、刀剣乱舞でも登場するのではないかと長年ファンの間でささやかれているようですがはたして…!

【参考文献】

週刊日本刀  ディアゴスティーニジャパン

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