loader image

有名な剣豪とその流派

殺陣の知識

テレビで時代劇の番組を見なくなってきた一方、書店では時代小説のコーナーがまだ多くあり、時代小説を原作とした映画はヒットを重ねてる様子を見ると、「時代物」に対する人気があることは間違いない。

時代物の剣豪というのは魅力的で描きたくなる存在である。
剣豪は私達の「憧れ」であり、いつも胸を熱くさせられる。

そこで、歴史上で有名な剣豪が、それぞれどんな流派であったか、またその流派の特徴をまとめてみた。

目次

1.宮本武蔵 『二天一流』
2.佐々木小次郎 『巌流』
3.伊藤一刀斎景久 『一刀流』
4.柳生十兵衛 『柳生新陰流』
5.大石内蔵助 『東軍流』
6.勝海舟 『直心陰流』
7.坂本龍馬『北辰一刀流』
8.沖田総司『天然理心流』

1.宮本武蔵 『二天一流』

宮本武蔵は、日本で一番有名な剣豪ではなかろうか。
武蔵は二刀流剣術の『二天一流』を創始した人物である。

二天一流の剣術は武蔵の父(新免無二斎)から学んだ当理流剣術の十手術の影響が見られる。
二天一流の特徴は相手の攻撃をギリギリでかわす防御と、二刀を用いて休む暇を与えない攻撃である。
大小の刀を持ち、広範囲、狭い範囲のどちらにも対応できるのも特徴だ。
しかし二刀流は、片手で刀を扱うのは非常に難しいため、刀の扱いに熟練した者が使わないと真価を発揮できないため、万人に適したものではなかった。

自らの生涯、思想、兵法などは晩年に書き残した『五輪書』に要約されている。

宮本武蔵をテーマとした代表的な作品は吉川英治の『宮本武蔵』であり、この作品を元に数多くの創作物を残している。

2.佐々木小次郎 『巌流』

先程の宮本武蔵のライバルである『佐々木小次郎』である。
宮本武蔵と決闘、かの有名な巌流島の決闘で命を落とした人物である。

小次郎は、小倉藩の剣術指南役を務めていた程の実力者である。
流派は自分で立ち上げた『巌流』という流派で、師匠は中条流の冨田勢源、あるいは鐘捲自斎とされている。
秘技は、『物干し竿』と呼ばれた長い刀から繰り出される『燕返し』である。
巌流の技に、上段から地面に打ち込み、返す刀で相手を斬る「一心一刀」という技があるが、それが「燕返し」だという説が強い。

巌流を継承した者がいないため、謎が多い流派である。

3.伊藤一刀斎景久 『一刀流』

江戸時代に小野派一刀流や北辰一刀流など数多くの流派を生み出し、現代剣道のルーツとも言われている『一刀流』の開祖となるのが、『伊藤一刀斎景久』である。

一刀斎は生涯にわたって一度も敗北したことがなく、三十三回の真剣勝負で敵を五十七人斬り、木刀で六十七人を打ち倒したと言われている剣豪である。
また一度の誰かの士官をしたことがなく、性格も剛直な人物であったとされている。

一刀流と柳生新陰流は共に知名度の高い流派であるが、一刀流は江戸幕府に冷遇されていたとされている。その理由は、柳生新陰流が稽古に竹刀を取り入れたのに対し、将軍相手でも一刀流は木刀を用いた厳しい稽古方法を貫いたためである。
しかし、この剛直な一面が幕末に多くの流派を生み出した原因とも言われている。

「名」より「実」を取った流派と言える。

4.柳生十兵衛 『柳生新陰流』

数多くの講談や小説に登場する『柳生十兵衛』。
武者修行をする姿を題材として書かれる十兵衛は、必ずと言っていい程に片方の目を覆う鍔の形をした眼帯をしている。しかし、史実には隻眼を確認できる資料は存在せず、剣豪伝説の中の創作であったと考えられる。

柳生十兵衛が父・宗矩から継承した『柳生新陰流』。
柳生新陰流は、将軍家の剣術指導に選ばれた有名な流派である。
流派の特徴は、単なる斬り合いに使うだけでなく、『活人剣』を理想としていた。
奥義の『無刀取り』は、素手で相手の刀を奪い制圧する技である。
開祖・柳生但馬守宗厳(石舟斎)がこの技を将軍家に披露したことで、剣術指南役に選ばれたそうだ。

新陰流の流れをくむ柳生新陰流は柔術の体捌きを取り入れており、敵の動きを予測する、更には相手がどう動こうと自在に対応して勝つ境地に立つことが出来るのである。

5.大石内蔵助 『東軍流』

赤穂浪士の討ち入り、いわゆる『忠臣蔵』の四十七士のリーダーであった人物『大石内蔵助』。
忠臣蔵は時代劇で様々なリメイク作品も作られる、年末の風物詩である。その魅力は、権力による不公平を堂々と糾弾して目的を成し遂げた点と、一つの尊い使命のために己の全存在を捧げようとする自己犠牲の精神が貫かれている点であろう。
つまりヒロイズムである。

また大石内蔵助が学んでいた『東軍流』の精神が討ち入りの成功に大きく影響していると言われている。
『東軍流』は一時は「柳生新陰流」「小野派一刀流」「二天一流」「夢想流」と共に『天下五大流派』と呼ばれるまでであった。
東軍流の特徴は、剣術だけでなく軍学にも優れていた点であろう。
東軍流の由来は、創始者の鑰之助が東軍という僧に軍学を学んだから、あるいは鑰之助が日本一の軍学者という意味『東軍者』と呼ばれた事からであると言われている。

東軍流の極意は『無明切』と言われ、敵の動きに合わせて動くことが大事としている。
これは討ち入りのタイミングをはかっていた大石内蔵助の精神に相通じるものを感じる。

6.勝海舟 『直心陰流』

「幕末三船(勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟)」筆頭であり、開国の立役者、江戸城無血開城、二本の海軍の基礎をつくった『勝海舟』。学んだ流派は『直心陰流』という。
彼もまた剣術の免許皆伝者であり、剣と禅の修行を通して自身の人となりを磨こうとしていた。

『直心陰流』は、江戸中期から後期を代表する流派で、竹刀と防具を導入し、立ち合いの稽古、試合稽古を広め、日本兵法史上において大きく貢献した。防具をつける内容は今の剣道の様式にも引き継がれている。
今までの型稽古ばかりではなく、実戦形式を導入できたことで門人がその数一万にも及んだという。

7.坂本龍馬『北辰一刀流』

『坂本龍馬』は勝海舟に師事し、共に開国や海軍の基礎を築いたこと、海援隊の創設、また仲の悪かった薩摩藩と長州藩の仲介役をし、薩長同盟を結ばせた人物である。

こんなに素晴らしい人物でも、小さい頃はいじめられてばかりだったという。
そこで姉が龍馬を鍛えるために習わせたのが剣術。
この頃は「小栗流」を学んでいたが、後に江戸へ出て、『北辰一刀流』を学んだ。

北辰一刀流の特徴は、剣術の内容が初心者にも非常に分かりやすいようまとめられていることだろう。
従来の八段階の伝授方式を三段階に簡略化し、竹刀打の技法を整備した。
また教義や技を体系化、簡略化し、六十八手の技を制定して誰でもわかるようにした。

坂本龍馬のイメージのほとんどは司馬遼太郎『竜馬がゆく』の影響が強いだろう。

8.沖田総司『天然理心流』

『沖田総司』は新選組一番隊隊長であり、幕末の天才剣士と言われていた。
新選組の中でも年齢の低い位置にいたが、天賦の才があると言われ新選組内で一番強かったらしい。しかし、どんなに強い人物であっても病には勝てず、わずか22歳でこの世を去った。

得意の技は『三段突き』と言われ、天然理心流の平晴眼から間合いを詰め、踏み込む足音を相手が一度聞いたと思った瞬間、既に三度の突きが入っていたそうだ。

学んでいた流派は『天然理心流』であり、新選組の多くがこの流派を学んでいた。
創始者である近藤内蔵之助長裕は、複数の流派を学んだ後、天然自然の法則に従って心技を鍛える自然派を天然理心流と名付けた。

多摩郡の農民を中心として流行した天然理心流は『田舎のいも剣術』と馬鹿にされたが、稽古でも真剣と同じ重さの木刀を使うことで真剣の重さに慣らし、それによって足腰や呼吸の鍛錬も行う、という実戦を意識してのものであった。
また多摩郡の領主が将軍であったことから、農民自ら将軍を守護する意識が強く、それが新選組の下地ともなっている。

まとめ

今回は有名な剣豪と習っていた流派を書いてみてわかったことは、剣豪の哲学や人生は『剣術』にあることがわかった。
剣術はただ単にどれが強いとかではなく、理念や思想で選ぶべきものであると感じた。

現代の人は、効率化や時間に追われて生きているため、心身を鍛えるということを忘れてきているように感じる。
日頃から鍛えておかなければいざという時に、本当の強さは発揮できないであろう。
何か仕事ではなく、自分を鍛える習い事などを始めては如何でしょうか?
そうすればいつもと違う景色が見えてくるのではないでしょうか。

今回も同じく『剣豪の流派』宝島社 様の文献を参考にさせて頂きました。
ありがとうございました。

五代新一

タイトルとURLをコピーしました